Photo by Kondo Atsushi

「メンタルが強い人などいない。大事なのは、「不利」な状況に置かれた時に、視点を変え、言葉を書き換えること」

姫路麗 #1

今回のアチーバーはプロボウラーの姫路麗さんです。姫路さんは学生時代に宝塚音楽学校を目指すも選に漏れ、挫折を経験。立ち直るきっかけとなったのが、祖父、母の影響で出会ったボウリングでした。19歳の時に北野周一プロに弟子入りし、00年に3度目の挑戦でプロテストに合格。08年には公式戦の「ポイント」、スコア平均の「アベレージ」、「獲得賞金」の3冠を獲得し、日本の頂点に立ちました。2019年には女子史上9人目となる永久シードを獲得。現在は通算勝利数を31にまで伸ばし、日本プロボウリング協会副会長として、競技普及の面でも積極的な活動をしています。キャリアに大きな影響を与えた父の死と母の存在、姫路さんが実践している「不利」な状況下で言葉を置き換える目標設定とは―。今回が全3回連載の1回目です。

Q:よろしくお願いします。プロボウラーは現在、男子が約700人、女子が350人いらっしゃるということですが、日々どのような活動をされているのですか?

プロのトーナメントが、女子は年間15~6試合、男子はその半数ぐらいあって、プロテストが年1回あります。プロテストに合格したらライセンスを授与されるので、このライセンスを活かして、どのような活動していくかは選手それぞれが決めるという形ですね。私は トーナメントプロを意識していますので、全トーナメントに出場し、成績を上げるための練習を絶やさないようにというのが一番で、お客様と一緒に投げる地域のボウリング場のイベントを回らせていただく日々です。男子プロの中には、マシン側のメカニックとして、ピンの奥のマシンを直したりする方や、ボウリング場を何店舗も経営されている方もいらっしゃいますし、全く違う職業をされてボウリングと2足のわらじという方もいらっしゃったりと、本当に様々ですね。

Q:姫路さんは、2019年に公式戦通算20勝で与えられる永久シード権を獲得されるなど、トップ選手として業界をけん引されてきました。あらためてキャリアを振り返っていきたいのですが、幼少期は宝塚歌劇団を目指していたと聞きました。

クラシックバレエを小中高12年間習い事としてやっていたので、一番はクラシックバレエを職業にしたかったんです。母から「宝塚音楽学校に行けばクラシックバレーをしながらお給料がもらえるよ」と勧められて、高校卒業時に受験しました。ただ、一次試験は受かったんですが、 二次試験で落ちてしまって。クラシックバレエは審査員が審査、点数をつけるんですが、(宝塚は)合格発表の時も、合格者の番号だけが貼ってあって、不合格者は何番目の不合格だったのか、何が原因で他の人より劣っていたのかを理解することなく終わってしまったことに、すごく人生の挫折を感じたんです。

Q:落ちた理由、合格者との差が分からない状態では、前に進めなかったと?

そうですね。ハッキリ「あなたはこれで、ここが何点足りなかったからダメだったんだよ」って言ってくれないと、納得しきれないほど、私にとっては勝敗を分ける受験だったんです。私は母子家庭だったので、その時に、地に足が埋まるってこういうことだなっていうくらい母が落胆している姿を見ましたし、宝塚を目指すのも、元々母が私への人生の教訓として「何かになりなさい」と、つまり資格を得る職業ですね、「何かにならないとダメ」っていう決まりがあったので、それをクリアするために、宝塚音楽学校を選んだ面もあったので。

Q:その挫折が、どのようにボウリングへとつながっていったのですか?

(宝塚受験より前の)高校生の時に、母と祖父がボウリングを「みのおボウル」(大阪)でしていて、そこにトリオチーム戦だからと入れられて、マイボールを作ってもらったのがボウリングとの出会いだったんです。その時、私の初めてのマイボールを作ってくれたのが、ボウリング場に常勤していた今でも師匠である北野周一プロで「スピードがあるから、プロボウラーになってもやっていけるんじゃないか」って声をかけてくれたんです。その北野プロの言葉がずっと頭にあって、ボウリングだったら対戦相手との点数差で、なぜ相手に負けたのかが一目瞭然でわかるといところに、バレエの挫折を救ってもらって、どっぷりハマっていった感じですね。

Q:ボウリング経験がない状態で、「これで生きていく」と決断するのに迷いはなかったのですか?

宝塚は15歳からの4年間しか受ける資格がないので、もう1回っていうわけにいかなかったですし、ボウリングは好きで、 「向いている」と言われていましたし、年1回のプロテストに受かりさえすれば、プロボウラーになれるんだって。母からの「何か資格、職業につきなさい」というプレッシャーをずっと感じていて、私の人生はそれをクリアしないと自走しないことも分かっていたので、プロボウラーになって母が満足すれば、そこから私は自分の好きなように人生を歩んでいこうと、そこに賭けた感じでしたね。北野プロのところに「私をプロボウラーにしてもらえませんか」と話しに行って、次の日からアルバイトが始まったのを覚えています。

Q:お話を聞いていると、お母さんのプレッシャーという言葉が何度も出てきました。「何かにならないとだめ」という教えも含めて、母子家庭という環境の中で、お母さんは姫路さんにとってどのような存在だったのですか?

甘やかされたり優しくされたりっていうのがあんまりなくって、いつも厳しかったですね。私の父は、航空自衛隊のパイロットで私が生まれて3週間で殉職してるんです。母は、子供が生まれて3週間で旦那さんを亡くしているので「結婚して旦那さんに身を任せてしまうと、自分一人では生きていくのが難しい」と。だからこそ、「1人になっても生きていけるように、手に職を」っていうのが母にとって揺るぎない考えだったんです。私は、子供時代に習い事もたくさんさせてもらって、ピアノ、エレクトーン、バレエと水泳と、スキー、スケート、ガールスカウト、子供会も全部行きました。それは、母が、青春時代に宝塚音楽学校を受けたいと思ったけど、バレエもピアノも何も習っていない中で受けたから一次試験で落ちてしまった経験があったからなんです。

Q:19歳でプロを志し、00年には3度目の挑戦でプロテストに合格しました。母娘の関係に変化はありましたか?

母が「プロテストを受かったらもういいよ」って言ってくれると思っていたんですけど、テストに受かっても「シードでもないのに自慢はできない」と言われ、シードになったらなっても、「シードの選手の中で優勝してないのは、あなただけよ」と。初優勝しても「2勝目からが本当の実力」と言われて、常に母が満足しなかったことが私の呪縛でもありましたし、私を奮い立たせてもくれました。その母が、2019年に私が20勝して、永久シードというこれ以上ない称号を手にした時に初めて「もういいよ」と言ってくれたんです。長かったですね。2019年からはやっと2人ともちょっと力を抜けて、やっとただ噛みしめる、幸せを噛みしめられるようになりました。

Q:お母さんの強い思いや、お父さんの死去。宝塚の挫折・・・いろいろなものが組み合わさって、姫路さんの「プロボウラー」としての道が作られていったのですね。

そう思います。20歳前後に、母に背中を向けた時期もありましたが、母を幸せにしなきゃいけないっていう、すごく責任を感じた人生でした。母は、お父さんが亡くなった悲しさや、自分の手に職がないコンプレックスとか、全てを娘に託した人生だったので、私がプロボウラーになって優勝して、母の育て方、母が歩んだ道が間違いじゃなかったと証明してあげることが私の親孝行でもあったし、母にとってもそれが一番の多分安心できる望みだったのかなと思いますね。

Q:姫路さんの「歩み」で言えば、プライベートでは01年に出産も経験されています。お母さんとの関係もある中で、大きなターニングポイントだったと思うのですが。

プロライセンスを発行されたのが2000年の6月で、出産が2001年の9月でした。タイミング的にも、出産することを周りの方に責められましたし、批判もされました。でも、私にとってはそれもすごく良くて、「この出産が良かったんだ」とみんなに思わせてやるっていうのがエネルギーになりましたね。そもそも(批判されたことが)理解できなかったんですね。何が悪いことなのかって。だから「これはこれで良かったでしょ」って、みんながわかるようにしなければなと単純に思いましたね。

Q:「結果」という面では、言葉通り、07年に待望のツアー初優勝、08年には年間ポイント、賞金ランキングでトップとスター選手へと一気に駆け上がりました。姫路さんのように、批判をはねのけたり、逆境を乗り越えるためには何が必要でしょうか。

自分がたどり着いた最終形は、「メンタルが強い人なんてそもそもいない」ってことです。生きていく中でできないことばかりを体験して生きていくので、生まれながらにしてメンタルが強いなんて人はそもそもいないんです。自分ができないことの方が多くて、できることの方が少ないので、当たり前にマイナス思考に育てられていくし、大人になればなるほど、マイナス思考が大きくなっていくんです。なので、目の前に起きた「不利」だと思われるような出来事を、これで良かった、これは有利だった、チャンスだったと視点を変えて、言葉を書き換える努力をする人がメンタルの強い人なんだと思いますし、今はジュニアの選手たちにも「誰でもメンタル強くなれるよ」って言っています。私もそうですけど、結局はその努力をしているかどうかなんです。

Q:視点を変えて「不利」を「有利」に置き換えるには、どのようなフローが必要ですか?

自分の中に、常に置き換えるための機械を置くんです。例えば先日も、青森で歩いていて、人生で初めて自分に鳥のフンが落ちてきたんです。シューズを入れてた靴袋になんかベチャッて。すごくショックだったんですけど、でもそれを自分で洗いながら「頭じゃなくてよかった」とかですね、本当に少し視点を変えるというか。フンがシューズ袋に落ちたことは最悪だと思うんですけど、あちこちの方向から言葉を変えて、それが最悪じゃなかったことにするんです。そして、それを自分でめちゃくちゃ口に出して言うんです。青森のお客さんにも「頭やったら、私もここからタラーっと垂らしながら写真撮ってましたよ」と言いました(笑)。

Q:そういう日々の小さな積み重ねや努力が、ポジティブな思考を育み、メンタルの強さにつながると?

そう思います。娘に対しても同じで、私がプロとして活動する中で、娘はお姑さんに預けたり、保育園に預けたりしてボウリングをしていたんです。生後3ヶ月で保育所に預けていたので、「こんなひどい親いないよね、ごめんね」っていう気持ちがすごくありましたけど、ボウリング場の方も、お客様も復帰を待っていてくれた。なので、娘を預けてボウリング場に行った瞬間に「この時間全てを有意義に、意味のあるものにしないと娘に顔向けできない」と思ったんです。娘が大きくなった時に「あんな寂しい思いをして待っていたのに、その時間をかけてやってたのがそれ?」って言わせてはいけない。「これだけ頑張るために必要だったんだ」というぐらい結果を残さなければいけないと思っていました。メンタルをプラス思考にするのは、そうやってボウリングが教えてくれて、その精神が家族やお仕事にまで良い循環になっているので、今では、多くの人にボウリングを勧めたくてしょうがないという塊のような人間になりましたね。

Q:姫路さんの「THE WORDWAY」。次回♯2は、姫路さんが勝利につながるメンタルコントロールについて語ります。姫路さんが考える、結果が出ている時にこそ必要な準備とは。勝利の確率を上げるための「言葉」があります。

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PROFILE

◆姫路麗(ひめじ・うらら) 1978年3月21日大阪生まれ。幼少期からクラシックバレエを習い、学生時代に宝塚音楽学校を受験も2次試験で不合格に。19歳で北野周一プロに弟子入りし、00年に3度目の挑戦でプロテストに合格。翌年に第一子を出産し、02年から本格的にトーナメントに参戦。07年の彦根プリンスカップで公式戦初優勝を果たすと、08年には公式戦の「ポイント」、スコア平均の「アベレージ」、「獲得賞金」の3冠を獲得。19年には通算20勝目をマークし、女子史上9人目の永久シードを獲得した。21年に通算獲得賞金が1億円を超えた。現在、通算勝利数は31で、2017年から日本プロボウリング協会の副会長も務めている。

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