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Photo by Kondo Atsushi
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「マジックなどない。ファンダメンタルがなければ、高いところには行けない」
トム・ホーバス #1
今回のアチーバーはバスケットボール男子日本代表ヘッドコーチのトム・ホーバスさんです。現役時代にトヨタ自動車などでプレーしたホーバスさんは、引退後の2010年に指導者として日本に戻り、JX-ENEOSなどを指揮されました。卓越したリーダーシップと采配が評価され、17年には女子日本代表ヘッドコーチに就任。21年の東京五輪ではスリーポイントシュートを多用する戦術でチームを銀メダル獲得に導き、世界を驚かせました。東京五輪後には男子代表ヘッドコーチとなり、現在は今年8月沖縄でも開催されるFIBAバスケットボールワールドカップ2023、24年のパリ五輪に向け準備を進めています。勝負の世界で生き抜いてきた名将が、自身のキャリアを振り返りつつ、「結果」を残すための組織作りを語ります。今回は全3回連載の1回目です。(※インタビューはすべて日本語で行われました)
Q:東京五輪ではホーバスさんが作り上げた日本の女子バスケが世界を驚かせました。まずは、チーム作りを始める上で大切にしていることを教えてください。
いっぱいありますが、チームを初めて作る時は、まずは選手とリレーションシップ、コミュニケーションを意識します。みんなの気持ちが分かれば、もっともっと上手にコーチングが出来ると思います。その後は、1人ずつの役割を話します。僕が考える役割と、選手のプレーが違ったら、「いや、あなたはこれだよ」「このチームの中ではあなたの役割はこれです」と、全員とそういう話をします。そして、「自分の役割だけじゃなくて、自分のチームメイトの役割も考えてください」と伝えます。みんながそれを分かれば、早く良いチームができる。分からなければ、チームはまずできないです。Q:それぞれの役割を明確にすることがすべてのスタートなのですね。
選手たちは自分の役割をすべて把握できてない時があります。「とりあえずやります」「僕はシューティングが強いけどドライブインもやりたい」など。ただ、(代表は)集まる時間が少ないから、私には時間がないんです。例えばある選手は(所属)チームにいるとドライブもする、シュートもする。僕は「いや、代表ではあなたはシュートだよ」「10回打ったら、8回はスリーポイントシュートを打って」と伝えます。そういうコーチの声を聞くと、選手は迷わず簡単になるんですよ。選手たちは迷っていると足が止まります。だから迷わないコーチングをします。Q:東京五輪の時も、例えばオコエ選手はスリーポイントシュートを打つことに徹していました。
彼女はトライブが得意ではなかった。若いからこれから上手くなるかもしれないけど、オリンピックのチームでは、彼女にドライブをしないで、「あなたのロールはスリーポイントシュートだから、役割はそれだよ」と。シュートが外れたことより、逆に打たなければ怒ります。選手は、迷ってなければ打てるんです。だから、そこは言いました。Q:コーチと選手が互いの意思を共有する丁寧なコミュニケーションが必要なのですね。
最初にチームが集まった時に、1つのパワーポイントを共有しました。例えば、「うちのパスはこれです」「うちのスタイルはこれです」。その後は、練習の前後とかに1人ずつと色々な話しをます。バスケットの話もするけど、バスケット以外の生活とか、家族のこととか、そういう話もします。僕の(現役)時代のコーチ達は「やれ」「これやれ」でしたが、もうそういうやり方ではないです。今は、選手も一緒にチームを作っているから、2wayの(双方向の)コミュニケーションが必要だと思います。Q:チーム全体のマネージメントで特に意識していることはありますか?
コミュニケーションの後はBelieve、信じてる。自分の力を信じてるかどうか、自分のチームメイトを信じてるかどうか、チームのスタイルを信じているかどうか。全員に信じてほしいから、上手によく説明します。「私たちがこれをやってる理由はこうです」「うちのスタイルはこれです」「なんで?」「相手がここは強いから、うちは速さが強いから速さをよく使いたい」とか。よく説明します。Q:自分だけでなく仲間の役割も知っておくことで、チーム戦術への理解、局面での判断力も高まると?
そうです、そうです。選手たちの判断が一番大事だと思います。うちのバスケットのスタイルやシステムの中で、選手たちの判断が大事になってきます。みんなの判断が見たいんです。判断できるか。できない選手も多く、判断力がチームに入れるかの鍵になると思います。Q:チームコンセプトを浸透させるために、ミーティングなどの時間も長くとるのですか?
私は本当にカジュアルなコミュニケーションをやります。チームミーティングは少ないです。試合の前のチームミーティング、試合が終わってから、ベンチの前で集まる時間もあるから、それで十分かなと思う。たまに、試合前のチームミーティングが終わってから、「選手達で話してください」と言ってスタッフが部屋から出たりもします。それはキャプテンの仕事。だから「キャプテン、今チームの雰囲気どうですか」と(聞きます)。もし、問題があれば色々言います。Q:強い組織を作るために、どうすればチームや仲間のことを信じられるようになりますか?
練習ですよ。僕は選手たちにチャレンジさせる、させたい人です。チャレンジ、大変な練習があれば、みんなちょっとピッとなるじゃないですか。もし同じミステイクをすれば、当たり前だけど注意する。でも、毎日は注意したくないし、選手達も注意させたくないから、頑張るじゃないですか。その先にBelieveがあると思っています。Q:指導者の土台を作った現役時代の歩み、日本との縁についても聞かせてください。初来日から30年以上がたち、日本人の奥様とも結婚されています。1990年に選手としてアメリカから最初に日本に来たのはどのような経緯だったのですか?
大学を卒業して、NBAのトライアウトでダメになって、ポルトガル(のチーム)に行ったんです。ポルトガルに行った1年目は、バスケットは面白かったけど、オフコートの生活がポルトガル語もあまり分からずに、つまらなかった。仕事をしたかったんです。それで、エージェントに色々話をして、トヨタのトライアウトがニューヨークであったので、それを受けました。NBA選手になりたくて、NBA、NBAばっかり考えて、日本からNBAに行けるかは分からなかったけど、あの時はトヨタのオファーがベストなオファーだったから、とりあえず1年行こうと思ったんです。Q:当時は社員選手としてプレーと平行して海外マーケティングの仕事を担当したと聞きました。満員電車で通勤されていたそうですが、初めての日本での生活はいかがでしたか?
めちゃくちゃ大変でしたが、日本の文化とか生活、ビジネススタイルもアメリカと全然違うから、毎日何か勉強になりました。今も25年、27年ぐらい日本にいるけど、毎日何か新しいことを発見して面白いと思いますね。Q:なぜ、ポルトガルでプレーしていた時から、仕事がしたかったのですか?
僕は暇より忙しい方が好きなんです。バスケットの練習、試合が終わってからアパートに戻って、何もないのがつまらなかったから、なんかやった方がいいかなと思った。頭の中では、例えばマックツールとか、なんか簡単な仕事かなと思ったんですけど、海外マーケティングの仕事はきつかったですし、仕事とバスケットを一緒にやって、ちょっとびっくりしたけど、今振り返るとすごく良かったと思います。いい経験になった。Q:実際に日本のENEOSから指導者としてのオファーがあったのは、引退から7年がたった時だったと聞きました。コーチに対する興味を失うことはなかったのですか?
選手を引退した時に子供が2人いたんです。サンディエゴに家があって、日本でコーチングの仕事を探したんですが見つからなかった。アメリカでも少し探したんですけど、見つからなかった。だから、普通の仕事をやりました。条件は良かったですが、どうしてもバスケットボールのコーチをやりたかったから、(2010年に)日本のENEOSからオファーをもらって「やろう」「キャリアチェンジしましょう」と。それで、息子と2人で日本に来ました。1年目は息子と2人で、娘と奥さんはサンディエゴに残りました。奥さんもサポートしてくれて家族全員で頑張りました。Q:自分のやりたいことがあっても一歩を踏み出すには勇気が必要です。なぜ安定した生活を捨てて、一歩を踏み出せたのでしょうか?
バスケットは、僕のDNAに入ってます。アイラブバスケットボール。サンディエゴで仕事をした時も、息子のバスケットボールチームを作りました。だからオフの時は、サンディエゴから試合でロサンゼルスに行ったり、フィニックスにもチームと一緒に行った。寝る前も、仕事よりバスケットボールのことを色々考えました。それは会社にとってもあまり良くないし、奥さんと色々話していたら、偶然ENEOSからオファーをもらいました。タイミングもぴったりでしたね。Q:日本のコーチたちと一緒に仕事をされて、アメリカでホーバスさん自身が教わってきたものと違いを感じたことはありました?
違います、全然。いつも言うけど、日本の強さは、細かいことが上手。例えば、車は開発していないけど、車を上手に作った。トヨタとかホンダとか三菱とか、上手に作ったんですよ。ステレオも最初は多分ドイツの人とかが作ったんですけど、日本がそれを上手に作った。そこは日本の1つの強みだと思う。けど、日本に来た時に、バスケットでは、アメリカのほうがもっともっと細かいことを上手だったんですよ。そこはちょっとびっくりしました。細かいことを日本のバスケット界、そして選手たちに教えたかった。バスケットボールは逆だったんですよ。アメリカの方が細かいし、きつかったし、厳しかった。Q:細かいのは、具体的にどのような部分ですか?
足の角度とかアングル、ポジショニングとか。(私は)大学の4年間がきつくて、大変だった。大学の4年生を卒業してから、プロフェッショナルを12年間やったんですけど、どこのコーチ、NBAのコーチもヨーロッパのコーチも日本のコーチが言っていることも、大学の経験があったので「わかってます」「もうできます」「準備しました」と感じました。それだけ、その4年間で学んできたんです。Q:その当時に学んだことが、指導者として今も生きていると?
はい、そうです。 バスケットボールはファンダメンタルです。スポーツはファンダメンタル。間違いない。ファンダメンタルがなかったらできない。NBAに入ったときに、僕は27歳だった。27歳のルーキー。日本からNBAに行った初めての人です。NBAに入った時に僕のヘッドコーチは(殿堂入りの)レニー・ウィルケンズでした。彼は素晴らしい選手だったけど、コーチとしても素晴らしかった。僕は、どれほどマジックの言葉を聞くかなと期待していましたが、ファンダメンタルだった。ハイスクールとジュニアハイスクールと一緒のファンダメンタル。それを彼が教えたんです。だから(結局)ファンダメンタルがなければ、高いところには絶対に行けないんですよ。ホーバスさんの「THE WORDWAY」。次回♯2は、男女の代表ヘッドコーチを通じて芽生えた指導哲学について語ります。ホーバスさんが歩みを止めず、常にアップデートし続けるために行っている〝儀式〟とは―。壁を越えるための力強い「言葉」があります。
THE WORDWAYでは、読者から、アチーバーの記事を読んだ感想を募集しています。記事を読んだ感想、「昨日の自分を超える」トリガーになったこと、アチーバーの方々に届けたい思いなど、お送りください。いただいたメッセージは、編集部から、アチーバーご本人に届けさせていただきます! アチーバーに声を届けるPROFILE
- ◆トム・ホーバス 1967年1月31日生まれ。米ペンシルベニア州立大卒業後、ポルトガルリーグのスポルティングを経て90年にトヨタ自動車に入団。94年にNBAのアトランタ・ホークス入り。その後トヨタ自動車や東芝にも所属し、2010年にJX-ENEOSのアシスタントコーチに就任。女子日本代表のアシスタントコーチなども経験し、17年に女子代表ヘッドコーチに就任。東京五輪で銀メダルを獲得し、21年9月に男子代表監督に就任。身長203cm。
HOW TO
THE WORDWAYは、アチーバーの声を、文字と音声で届ける新しいスタイルのマガジンです。インタビュー記事の中にある「(スピーカーマーク)」をクリック/タップすることで、アチーバーが自身の声で紡いだ言葉を聞くことができます。 CATEGORY
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