Photo by Kondo Atsushi

「常に「普通」でいる。うまくいっているから偉そうにするのは愚かだし、今がだめでも卑屈になる必要はない」

梅原大吾 #2

今回のアチーバーは、「世界でもっとも長く賞金を稼いでいるプロゲーマー」などのギネス記録を持つ、世界的eスポーツプレイヤーの梅原大吾さんです。小学生の時に格闘ゲーム「ストリートファイターⅡ」と出会った梅原さんは、毎日ゲームセンターで腕を磨き、15歳で日本大会優勝、17歳で世界大会優勝を果たすなど、若くして注目を集めました。23歳の時に一度はゲームの世界から離れ介護の職に就くも、2009年世界大会で優勝し電撃復帰。10年にアメリカの企業とスポンサー契約を結び、「日本初のプロゲーマー」となりました。幼少期から、ゲームに対する世間の逆境に抗しながら、「好き」を貫き続け、40歳となった現在も世界のトップとして活躍を続ける梅原さん。ゲーム業界の先駆者が、好きなことを仕事として生きる難しさ、プロとしてのこだわりを語ります。今回は全3回連載の2回目です。

Q:今回は、梅原さんがゲームを始め、世界的なプレーヤーになるまでの歩みについて聞かせていただきます。

始めたのは11歳で、当時から(格闘ゲームの)ストリートファイターの大会にも出ていました。全然勝てなかったですけどね。それで、14歳から毎日ゲームセンターに行くようになりました。

Q:毎日ゲームセンターに通うほどのめりこみ、上達したかったと?

毎日行こうと思ったというより、途中から「これはもう続けよう」と思ったんです。 10日とか、1ヶ月だったらなんとも思わなかったかもしれないですが、それが半年、1年、2年経ち、「ん?これって記録だよな」「続けなきゃいけないことだよな」と思い始めたんです。自分が特別なプレーヤーだと思い込むためにやっていた部分もありますね。 大雪、嵐、台風関係ない。絶対行くんですよ。風邪を引いていてもね。嵐の日なんかはお客さんいないんですよ。でもとりあえず行くんです。広いゲームセンターの中に2人ぐらいしかお客さんがいなくて、別のゲームやってるんです。でも「今日も俺は来た」、だから「今日来なかったやつに負けないんじゃないか」みたいな、単なる自己暗示なんですが、そういう積み重ねで「格ゲーだけは負けないぞ」って言う、ギリギリのとこで踏ん張る力というか、そういう力になってたと思いますね。

Q:続けることで自信を得ていたのですね。

ゲームというのは歴史が浅いから、どういう練習が本当はいいのかとか、どういう行動がメンタルにとっていいのかということも、まだまだ研究不足でわからないことばかりです。だから、自分の思いつくことをやって試すしかないんですよね。ただ、考えないでやってると当たり前の結果にしかならないということだけは確かです。それに、メンタルって思い込みで良い方向に向かっていくと僕は思うので、我流でもなんでも「俺はこれが意味ある」と思い込んで自信を持っていれば、それは無意味じゃないような気がするんです。ただ、僕がこんなに長く続けられたのは本当にゲームだけ。これで生きてくぞ、これが好きだからやりきるぞって強く思えたからです。

Q:格闘ゲームは、それほど梅原さんにとって最初から特別な存在だったのですね。

格闘ゲームに関して特別な才能があると思った瞬間はないんですよ。ただ、「好き」っていう気持ちに関しては、本当に自分と同じぐらい好きな人に未だに会ったことはありません。だから、どうやら特別好きらしいとは、早くから気づいていました。例えば反射神経であったり、手先の器用さだったり、攻略の速さは、それぞれもっと優れた人はいます。じゃあ対抗しうる自分の武器は何なのかといったら、「君ら来なかった時、俺来たからね」「君たち帰ったけど、俺閉店までいたからね」なんかそういう気持ちだったんですよね。とにかくそうやって奮い立たせてやっていましたね。

Q:そういう日々が、17歳の時の世界大会優勝という結果につながりました。ただ、どれだけ勝利を収めても、ゲームだけで生活をすることはできないという苦い経験をされたわけです。ゲームを取り巻く環境が現在とは異なる中で、将来を見据えて、葛藤もあったのではないですか?

そうですね。子供の時にゲームが好きでゲームに打ち込んで、両親は一応認めてくれてましたけど、周りや学校の先生からは「そんな意味のない事やめろよ」と言われる、そういう時代でした。自分の能力を発揮できる仕事にもずっとつけなかったので、仕事にコンプレックスを感じながら生きていました。バイトもなんかうまくいかない。何をしても置いていかれるというか、うまくできなくて。

Q:そうした悩みが、22歳の時にゲームから離れるという決断につながりました。その後、一度は介護の仕事にも就いたとも聞きました。

色んなアルバイトをしましたが、仕事はできないし、褒められた経験がほとんどないんですよ。だから、介護職に就いた時も、最初は積極的ではありませんでした。日雇いのバイトもやって、飲食もやって、色んな事をやって、どれも上手くできず続かない時に、両親が医療機関に勤めていたので、もう本当に最後の頼みの綱、流れ着くように介護という感じでした。初日を終えて、「お疲れ様でした」「また明日からよろしく」って言われて施設を出た後、駅まで走っちゃったんです。「俺ダメなやつだと思ってたけど、若いってすげーな!」って。僕が担当したところは9割ぐらいの方が認知症で、自分で歩けなかったり、トイレもお風呂もほとんどのことが自分ではできない状況でした。そんな中で、体が自由に動いて、喋れて、自分の意思で今日食べたい物決められて、昨日のこと覚えてて、何より将来のことについてあれこれまだ考えられる。当時は不安しかなかったけど、何て素晴らしいんだろうって思ったら、駅まで短い距離だったんですけど走っちゃった。まだまだ、何かやれることありそうだ、「こうしちゃいられねえ」ってね。そういう意味で、介護の仕事は一番勉強させられた、学びがあった仕事でしたね。

Q:その経験は、今でも梅原さんに活きていると?

活きまくってますよ。例えば練習で昼の12時くらいから始めて、夜中の1時に終わったりする日々が続いてたんですよね。そうすると、過度の疲れとストレスから、「こんなことしていて意味あるのかな?」「なんだ、この人生」と思えてくる。 「好きなことだけど、負けたくないけど、ここまでしなくちゃいけないのかな」「何のために生きてるんだろうな」って。でも「いや、今しかできないから、頑張ろう」っていう気になれるのは、やっぱりその時の体験があったからだと思います。若い時間というか、「今、まだ若いんだ」ということを自覚してない人は見ていると分かります。「お前は、いま若いんだぞ」とは、もちろん言わないですよ。「説教臭いおっさんだな」なんて思われたくないですし。でも、一度人間の「死」の一歩手前を見てきたら変わるのになあと思うことはありますね。

Q:介護の仕事をやっているときは、遊び程度でもゲームはしていなかったのですか?

行かなかったです。自分のように何か1つのことに真剣に打ち込んで挫折した経験を持つ人だったらわかると思いますが、真剣にやってきたことを遊びで、軽い気持ちでやりたくないんですよ。だから、友達から誘われても、「いや、俺はゲームはやらないから」と断固として断りました。「そもそも俺がこんなに人生で苦労してるのはゲームのせいだろう」と思っていましたし。「ゲームにハマっちゃったからこんな人生を送ってるんだ」「今ようやく全うに介護の仕事で、給料安くても人間らしい生活してるんだから、連れ戻さないでくれ」という感じでした。ゲームはそれぐらい自分にとって最悪のものになっていました。

Q:ゲームの世界に戻られたのは、そこからさらに後の2008年だったそうですが、心境に変化があったのですか?

本当にしつこく誘われたので、「一回だけ」と一緒に行ったんですね。そしたらブランクがあったにもかかわらず、子供の頃からやってきたことだったので、体は覚えてるし、勝つ方法も分かる。「こんなにブランクあっても、軽い気持ちで来ても勝てるんだ」つくづくこれだけは自分にとって特別なんだと思えたわけです。他のこと一切はダメでダメで、「仕事ができない」と世の中から言われるけど、これだけはどうやらガチだな、と。だから、楽しいというより、嬉しいとか、そういう感じですよね。救いでしたね。

Q:介護の経験、年齢、いろいろな要素が重なったことで、再び「ゲーム」に向き合えたと?

それはあると思います。特に趣味もなく生きてたんで、仕事は仕事でやりつつも自分がちょっと特別な気持ちになれる趣味があっても良いんじゃないかと、ちょっと自分に優しくなると言うかそんな感じでした。若いころの頑なな気持ちはなく、「ま、ちょっとやるくらい良いじゃないか」と許せたんです。

Q:ゲーム業界に注目が集まっていな時代を知っていて、挫折を経験したことが、世界的プレーヤーになっても、梅原さんが謙虚で居続けられ、努力し続けられる要因なのですね。

そうだと思います。もちろん仕事だから信念をもって頑張るわけですが、こんな仕事をさせてもらえるチャンスはもう二度とないことだけは、確信があるわけです。今、昔と全く同じをことやっているのに、全く待遇が変わっているわけです。自分は変わってないんですよ。ただ環境変わっただけなんですよ。だから、たまたまうまくいってるからといって偉そうにするのは愚かだし、その逆もそうだと思うんですよね。うまくいっていなくても卑屈になる必要ない。両方を体験したから「普通」でいられる。人から文句を言われる筋合いはないけれど、別にまったく偉くもないし、すごくもない。だから、僕は全力でやるんです。それで1年でも2年でも長くやれたら、もしこの仕事がなくなっても、「いや、でもあれ以上の頑張りは無理だから、しょうがないな」「環境の変化だな」って思えますし。自分の怠慢だとは思いたくないですからね。

Q:これだけの成功を収め、周りの環境が変わっても、姿勢を変えないのは簡単ではないと思います。

今ゲームは光が当たって、ちょっとしたブームにもなっているけれど、必ずまた落ち目になる時は来る。冬の時代から、今、言ってみれば春です。長い間、寒い冬を経験しているからこそ言えます。また冬が来るのは自分が何歳の時なのか、もしくはもう引退した後なのかわからないけれど、常に自分の置かれている環境を客観的に見て、ブレない自分を貫くだけです。

Q:「今」が絶対ではないと思うことが、成長にもつながるのですね。

僕は子供の頃、喋るのが得意で、結構みんなを楽しませる存在でした。運動が得意で力が強かったら、子供の間でリーダーになるじゃないですか。毎日のようにみんなに「遊ぼう」と誘われて、いつも中心に居たから、自分のことを人気者だと思っていたんです。でも、自分がゲームに熱中し始めて、明らかに同級生との距離を感じ始めた。部活や勉強に思春期の子達が集中していく中で、「なんかウメ、ゲーセン通ってるらしいよ」と浮いた存在になっていったんですよね。毎日のようにみんなが家に来て遊んでたのが、パタッと止まった。見事にいわゆるヒエラルキーが一番上から、最下層ぐらいまで落ちたんですよね。

Q:だからこそ、偉ぶらずに、「今」がある間に集中できるのですね。

最近久しぶりに会った友達に「変わらないね」と言われたのが、すごく嬉しいんです。それは自分が本当に心がけてることなんです。立場が変わったから態度を変えるなんていうことはしたくない。やったらやっただけ返ってきて、成長する時期が人間にはあるけど、もう僕は40歳で、そういう時期ではもうないわけですよね。反対に「変わらない」と言われるためには努力が必要な年齢ですよね。それは態度にも言えることだと思うんですよ。自分に自信がなくなっていたりとか、弱気になっていたりとか、普段自分がやらなくちゃいけないことができていなかったり、おろそかにしていたり、サボったりするところから生まれると思うんですよね。だから、「変わらない」と言ってもらうために、それ以外のところで頑張っている感じですよね。変わらない自分を維持するために、水面下の努力が大事なのかなと思いますね。

梅原さんの「THE WORDWAY」。次回♯3は、梅原さんが好きなこととの向き合い方を語ります。好きなことを続けるために、勝ち続ける。そして勝ち続けるために、必要なものとは―。強い一歩を踏み出すための「言葉」を見つけてください。

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PROFILE

◆梅原大吾(うめはら・だいご) 1981年、青森県出身。11歳で格闘ゲーム「ストリートファイターⅡ」に出会い、15歳で日本一、17歳で世界一に輝く。23歳の時にゲーム界に別れを告げて介護職などに就くが、2008年に電撃復帰。2010年米国企業と契約を結び、日本人初のプロゲーマーとなる。同年8月「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロゲーマー」としてギネスブックに認定され、現在は3つのギネス記録を持つ。プロゲーマーの世界的第一人者であり、海外では「ビースト(Beast)」の異名を取る。

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