Photo by Kondo Atsushi

「結果を残すためにはピーキングをどこに持って行くかを設定し、そこから逆算していく計画性が必要」

大神雄子 #1

今回のアチーバーは、元バスケットボール女子日本代表で、Wリーグ・トヨタ自動車アンテロープスのヘッドコーチの大神雄子さんです。大神さんは8歳の時に父のコーチ留学先の米国で本格的にバスケットボールを始め、帰国後は愛知の強豪・名古屋短期大学付高(現・桜花学園高)に進学。司令塔として3年間で7度の日本一に貢献すると、07年には日本人初のプロ契約選手となりました。08年に、米WNBAのフェニックス・マーキュリーの開幕ロースターを獲得。日本人2人目のWNBAプレーヤーとなるなど世界を舞台に活躍し、今年6月には日本人3人目となる国際バスケットボール連盟の殿堂入りを果たしました。壁を乗り越える原動力は「エネルギーとパッション」。情熱の燃やし方、夢を引き寄せる「逆算」のメンタリティーとは。今回は、全3回連載の1回目です。

Q:昨年、トヨタ自動車アンテロープスのヘッドコーチに就任され、今季で2シーズン目を迎えます。今年6月には国際連盟の殿堂入りも果たされましたが、長くトッププレーヤーとして活躍し、指導者への挑戦は難しくなかったですか?

ずっとバスケットボールが身近にある中で、引退後はコーチング、指導者になりたいとずっと思っていましたし、小学校6年生の時に桜花学園に入りたいという1つの目標ができたり、オリンピック選手になりたいという目標がかなったのと同じように、選手としての目標と、選手を終えた後に「次、何をしたいのかな」っていうのは漠然と考えていました。35歳まで現役をさせてもらったんですけど、最後のその1年は、指導者の道を歩むということを私から発表した形で1シーズンを戦ったので、次の目標が決まっていた感じでもありましたね。

Q:バスケットボールとどのように関わっていくかという広い視野でキャリアを捉えられていたのですね。

そうですね。ただ、私の性格上、多分あれもこれもそれもっていうのはできないんです。なので、その1年を選手と決めたら、選手としてどれだけ自分が没頭できるか、全力で取り組めるかというところにフォーカスするので、「次のための準備」っていうのはなかなか難しかったです。ただ、バスケットボールをやっていく準備の中でも、じゃあどこにピーキングを持っていくのか、開幕戦に持って行くのか、プレーオフに持って行くのかを逆算するんですが、人生設計もそれと同じように、自分がここに行きたいって言ったときに、じゃあ今は何をすべきなのかというのをキャリアを重ねる中で考えられるようになったんだと思います。なので、引退する前に「こうなりたい」というのがあったら、そのための「じゃあここだね」っていうのが1つ、35歳の年だったのかなと、今は思えますね。

Q:現役時代のピークをどこに持って行くかという経験が、キャリア形成にもつながったと?

そう思います。日本代表のピーキングで言えば、ワールドカップなのか、オリンピック予選なのか、オリンピックなのかというところにあると思いますし、もちろん、個人としては日本代表にどうやって入れるのか。やっぱり、その都度その都度なんですよね。 人なので感情もそうですし、ずっと調子がいい人なんていませんから。1ヶ月前、自分がシュートが入らずに、調子が悪くても、そのタイミングにピークを持っていくための状況なんだって思える1つの指針になっていたと思うので、ピーキングをどこに持って行くのかを最初に設定して、逆算していく計画性は現役時代に本当に学んだ気がします。

Q:あらためて大神さんのキャリアを振り返っていきたいのですが、8歳でバスケットボールを始めたのは、どのような出会いだったのですか?

父が大学の先生でバスケットボールを教えていて、1年間UCLA大学にコーチ留学をしていて、家族で住みました。その時に、向こうはやる環境もそうですし、見る環境もある。そこに私がどっぷりハマっていった感じですね。やりたいと思ったらすぐできる。見たいと思ったら、NBAを見に行ける。その環境が私をそうさせてくれたのかなと思っています。それと、私がバスケットボールを一緒にやっていたのは同じ年代の男の子、女の子とかではなくて、大学生、大人の人たちに私が入っていくっていうのが日常だったんです。それが、自分をその気にさせてくれたし、大人に向かってシュートが打てるとか、大人を抜いてシュートを決められる喜びとか、そういうところが日常だったのは私にはすごく大きかったと思います。

Q:日本に戻ってからバスケットボールとはどのように向き合っていたのですか?

アメリカでバスケットボールにどっぷりはまって、帰ってきたらすぐ地元のミニバスケットボールクラブに入って、全国大会を目指したんです。でもその時は何よりもバスケットボールを楽しむことがすべてで、バスケットボールの楽しさを毎日感じていた日々でした。1つ、きっかけになったのは小学校6年生の時に、ウィンターカップという高校生の大会をテレビで見たんですね。その時の試合が、名短(現桜花学園)と純心(女子)っていう学校で、残り0.何秒で名短の選手が3ポイントを打ったのがシュートファールになって、3本フリースロー。それで、そのフリースローを決めて、名短が最後優勝するっていうゲームだったんです。

Q:その1つの劇的な試合が大神さんのバスケットボールへの考え方を変えたと?

最後まで諦めちゃいけないんだっていうのと、なんて面白いんだっていう名短のバスケットに魅了されて、「あ、私はこの高校に行きたい」って思いました。ただ、山形県出身で桜花(名短)は愛知県にあるチームなので、どうやったら行けるんだろうと考えた時に、その為には中学で全国大会に出なきゃいけない。楽しいだけじゃなくて、自分がもっと上手くなって、桜花学園の井上先生に目に止まらないといけないんだって。目標が正直そっちになったかもしれないですけど、それは私のモチベーションだったので、そういう中学校生活を送っていました。実際に、中学2年、3年生の時に全国大会に出て、3年生の時は決勝の舞台まで立つことができたんです。本当に諦めずに向かって行くモチベーションがありましたし、私はやっぱり「目標設定」をしっかり掲げて、ずっとやってきたタイプなのかなと思いますね。

Q:小学校6年生の時に、桜花学園でプレーする自分を想像し、入学するために必要なものを逆算して中学3年間を過ごしていたのですね。

そうですね。もしかしたら性格の部分で、目指すならここに行きたい、どこに行きたいっていう自分の目標設定の位置が高いのかもしれません。日本を離れてアメリカでもバスケットボールをやっている、バスケットボールがあるっていうところが、もしかしたら自分の中でもあったのかもしれないですね。日本だけでのスポーツではない、アメリカにもある。いつかアメリカでやりたいっていう風に漠然に思って、そこでオリンピック選手になりたいと思った。だから、環境がそうさせたと面もあるのかもしれないですね。

Q:大神さんのように目標を掲げても、行動に移し、それを達成するまで続けるのは簡単なことではありません。中学生の頃、名短に進学するために意識していたことや、自分の中でのルールのようなものはありましたか?

家の階段のところで腹筋とか腕立て伏せとか、駐車場でボールハンドリングと縄跳びとかもしていましたが、当時の中学生の試合は前後半15分ハーフだったので、テスト勉強もハーフ、15分と決めていました(笑)。集中力を15分維持させようという考えだったんですが、父親に「1時間はやりなさい」って言われたので、4セットですね。これは私が勝手に作ったルールですし、当時はそこまで深くは考えていないですけど、今でいえば、そういうのもタイムマネージメントの1つになりますよね。自分で勝手にバスケットボールの続きから、繋がりから、自分が作ったテスト勉強の勝手なルールみたいな感じでしたね。

Q:生活すべてをバスケットボールに捧げていたのがよくわかります。憧れの桜花学園入学後は、7度の日本一という素晴らしい成績を残されました。

でも、7度の日本一より2回負けたことの方がやっぱり大きいんですよ。私は高校に入るときに、9冠を目指していたので。だから、「7回すごいね」じゃなくて、私にとっては「この2回、何で勝てなかったんだ」っていうことを今でもやっぱり鮮明に覚えてます。

Q:勝った喜びより、負けた悔しさが勝っていたと?

そうですね。まず「9回優勝を獲りに行く」って言った最初の大会である高知インターハイの決勝で負けたんです。その時、本当に何もできなかったんです。私が中学校の時に思っていた桜花学園に入れました。それを自分が目標にしてきて、じゃあその次の目標に対して、自分が明確に行動目標ができていたのかというところを問わなければいけないですよね。「9冠獲りたい」と言ってはいましたが、実際それに対しての行動目標があったのか。ディフェンスができていたのか、自分の得意技だけでやって、足りていない部分があったと思いますね。

Q:1つの目標を達成した後、次の「目標設定」の中に甘さがあったと?

そのインターハイで負けて、その後は6回続けて全国大会で優勝してるんです。その最初の負けから気づけたのは、「結果目標」をそこにするための「行動目標」がなかったということです。自分がアウトサイドが苦手だったらスリーポイントの練習をしなきゃいけない、自分がディフェンスが苦手だったらディフェンスの練習をしなきゃいけないというのに気づかされて、その後にそこの行動目標を改めて派生させて、具体化させていったっていうのはあると思いますね。

Q:足りないものにすぐに気づけたから、その後の勝利を呼び寄せられたのですね。

気づいて、その後また行動することが大事だと思うんですけど、自分で最終的に気づいて行動することの反復と、もう1つは、桜花学園にはもちろん先生がいて、その先生の一言に自分がどう気づいて、それを行動できるか。これも1つ大事なことだと思うんです。やっぱり聞くこと。ただ楽しくて、自分がやりたいことをやってきた中学時代から、高校になって先生から言われたことに自分が次どうリアクションを取れるのかっていうところを自然にできた井上先生の言葉もすごく大きかったですね。

Q:高校時代の経験は、今コーチングをする上でも影響を与えていますか?

私が今、コーチになってすごく実感してるのが、「直感」がバスケットボールの競技特性からしてすごく大事だと思うんです。24秒以内にシュートを打たなきゃいけないっていうシチュエーション、攻守の切り替えがすごく早くて、局面がどんどん変わっていく。そこでは絶対に直感が必要だと思うんですよ。その上で、直感に必要なものは経験だと思います。もちろんコーチングとしての知識はしっかり学びの中で講習を受けたり、コーチライセンス、映像を見る、可視化するっていうところで知識は得ていけるはずですが、直感は経験と知識でイコール直感だと思うので、すごく活きてるものだと思ってますし、これからも絶対活きるものだと思ってます。

Q:スポーツに限らずだと思いますが、成功した経験だけでなく、失敗した経験もしっかりと糧にしていくことが、瞬時の判断が求められたときに引き出しの多さとして表れるのですね。

そこは繋がっていると思います。もちろん両方から活かせているものは絶対あると思うんですけど、(高校時代に)7回優勝した時よりも2回負けた時の方が自分の中に残っていて、その次、自分が負けたことから自分がどう行動していくかっていうところを気づけたのと同じで、やっぱり成功体験より失敗体験の方が繋がっているのかなと感じていますね。

大神さんの「THE WORDWAY」。次回♯2は、大神さんがアメリカ挑戦、中国リーグ挑戦など、開拓者としての思いを語ります。プレッシャーをモチベーションに変える考え方、一歩を踏み出す心得に迫ります。

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PROFILE

◆大神雄子(おおが・ゆうこ)1982年10月17日生まれ、山形県出身。8歳の時に、バスケットボールの指導者の父がコーチ留学したロサンゼルスでプレーを始める。名古屋短期大学付高(現・桜花学園高)に進学し、3年間で7度の日本一となった。2001年にジャパンエナジーJOMOサンフラワーズ(現JX-ENEOS)に入団し、07年に日本人初のプロ契約選手となる。同チームで9度のWリーグ優勝、7度の全日本優勝に貢献した。08年に米WNBAのフェニックス・マーキュリーのキャンプに参加し、開幕ロースターを獲得。日本人2人目のWNBAプレーヤーとなる。13年には中国女子リーグの山西興瑞に移籍し、主力として優勝を経験した。2018年に現役引退後は、トヨタ自動車でコーチを務め、2022年からヘッドコーチ。23年に日本人として3人目の国際バスケットボール連盟(FIBA)殿堂入りを果たす。

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