Photo by Kondo Atsushi

「悪くなった時のために、うまくいっている時こそ、なぜうまくいっているかを考える」

姫路麗 #3

今回のアチーバーはプロボウラーの姫路麗さんです。姫路さんは学生時代に宝塚音楽学校を目指すも選に漏れ、挫折を経験。立ち直るきっかけとなったのが、祖父、母の影響で出会ったボウリングでした。19歳の時に北野周一プロに弟子入りし、00年に3度目の挑戦でプロテストに合格。08年には公式戦の「ポイント」、スコア平均の「アベレージ」、「獲得賞金」の3冠を獲得し、日本の頂点に立ちました。2019年には女子史上9人目となる永久シードを獲得。現在は通算勝利数を31にまで伸ばし、日本プロボウリング協会副会長として、競技普及の面でも積極的な活動をしています。キャリアに大きな影響を与えた父の死と母の存在、姫路さんが実践している「不利」な状況下で言葉を置き換える目標設定とは―。今回が全3回連載の3回目です。

Q:姫路さんは2017年に日本プロボウリング協会の副会長に就任されました。現役のトップ選手が協会の要職を担うのは珍しいと思うのですが、どのような経緯だったのですか?

自分から立候補しました。年齢的に39歳だったので、間に挟まっているという感覚がすごくあって、先輩方の、50年のプロの歴史を築いてこられた「ボウリングとはこういうもの」「プロとはこうだ」という考えと、10代、20代で今プロになった子たち、SNSで育った子たちの、この40年ぐらいの年齢差ですよね。例えば、SNSにどのような情報をあげるかとかもそうですし、スカートが短いとか、本当にいろんなことがあるわけです。どっちもいいところがあるのに分かり合えないっていうのがすごく残念で、プロ協会をよりよくするためにはちょうどいい年齢だったし、歴史も残したいけど、新しいことを取り入れて変化もしていきたいと思って行動しました。

Q:育ててもらったボウリング界への恩返しの意味もあったと?

そうですね。私が(当時)18年ぐらいプロボウラーをやっていて、それ自体に感謝していましたし、そうしたみんなが嫌がるようなお役目こそ、やっぱり活躍した人がやるべきだなと思ったんです。もちろん自分が頑張ったとも言えるけれど、やっぱりプロ協会があったから「優勝」というものがあって、31勝もあって、その優勝するための日々があったから、今後はプロ協会に恩返しをしていく番だなという風に思って立候補しました。

Q:ボウリング、スポーツに限らずですが、伝統を守ることと、新たなものを取り入れながら成長させていくというのは組織を運営していく上で常につきまとう問題です。現役を続けながら、その中枢に飛び込むことは大変な労力が伴うと思うのですが。

そうですね。ルールとかが決まる会議に現役の選手がいないっていうのが、少し不安でもあったんです。やっぱり現役の選手が会議に出てこそ、「いや、ここは選手としてはこうして欲しいです」っていう一言が言えるかもしれないですし、若いうちに役員をすることで、例えばスポンサーさんとかと会って話をする際も、つい最近の大会で優勝した人が挨拶に来てくれたとなれば、企業の方も喜んでくださったりすると思うんですよね。なので、やっておくべきだと思って。おしゃべりだから適任だと思っていました。

Q:業界全体で見ると、過去には大きな「ボウリングブーム」もありました。近年も、アパホテルが冠についた大会や、歌手の桑田佳祐さんの大会などが話題になりましたが、現在のボウリング界の置かれた状況、今後必要なことについて、姫路さんはどのよう考えていますか。

私は、今めちゃくちゃいいと思ってるんです。(女子プロ1期生で通算33勝の)中山律子プロの時は、ボウリングというゲーム、スポーツが日本になくて、アメリカから流れてきた目新しいものでした。プロが誕生したのもその時期で、日本全国の人がそこに食いついたんですね。そこで、すごく人気が爆発して、ブームになったおかげで廃れちゃったと思うんですよ。たまごっちとかと同じで、バーンって流行ると、次はそれがダサくなる。でも、最近は、ボウリングの本当の良さをじわじわみんなが分かってきてくれてると思うんですよ。 なので、まだまだマイナースポーツと言われていますが、絶対になくならない物っていう自信がありますし、本当にボウリングを好きで愛して大事に思ってくれてる人だけが残ってるっていう感覚があるので、まずは、その人たちに満足していただくこととですよね。そこから、SNSもそうですけど、やっぱりボウリングっていうものが忘れられないようにいろんなところで発信していって、多くの新しい新規ボウラーにおいでって言って呼び込みたいっていう思いがあります。

Q:長い歴史を乗り越えてきた業界を次の世代に残していく役割ですね。

今は両手投げが注目を浴びているんですよ。ジュニアの子たちがボウリング始めると、両手投げが多いんです。以前は、ハウスボールで若い男の子とかが軽いボールを親指入れずに両手で投げて、すごい高回転で回すっていうのが流行っていたんですけど、最近はそれが影響力を増して、両手投げのプロまで誕生してるんですよ。なので、これからはボウリングは片手投げのするものじゃなく、両手投げの人が増えていくから、これもまた新しく若い人に注目されるきっかけになると思います。

Q:貴重なお話をありがとうございました。姫路さんは、けがや調子の悪い時期もある中で、長い期間、第一線を走り続けてきました。あらためてキャリアを振り返って、高いレベルで結果を残し続ける秘けつなどあれば教えて頂きたいのですが。

私の経験が仕事に通じるかは分かりませんが、いい時こそ、それを維持するように練習をさらに増やしていました。ボウラーの方にもよく言うんですけど、大体みんな逆なんですよ。いい時、うまくいってる時に何も考えないで、上手くいかなくなってから考えだすんです。私の場合は投球フォームを縦に輪切りにしたような感覚で、1本目はこう、2本目はこうっていう風に、輪切りにしてチェック項目を作っているんですけど、それをいい時こそ記録しておくんです。そうすれば、悪くなった時にはそれと照らし合わせれば、どこがずれているのかをチェックできるので、良い時に戻すことが安易になる。良い時に何も考えなくて、悪くなってから何が悪かったんだろうって考え出しても、良い時の見本材料がないから、「もっとココこうした方がいいのかな」とか、新たな技とかをやり出したりするんですよ。そすると、どんどん悪くなって行っちゃうので。だから、うまくいってる時こそ、なぜ今うまくいってるのか、何を意識して、どこを抜かりなくやってるのかを研究してもらうといいのかなと思いますね。

Q:最後にTHE WORDWAYは言葉を大事にしているメディアです。姫路さんが大事にしている言葉、キャリアの支えとしている言葉があれば教えてください。

プロになった時は「練習」が座右の銘だったんですよ。もう練習あるのみ。練習してこその自分だと思ってきたんですけど、優勝するようになってからはちょっと変わって、2個目の座右の銘なんですけど、今は「全力投球」です。何事にも全力で挑むということを心がけています。

Q:まだまだ全力で行かれるのですか?

変化の時ではありますよね。年齢も45歳だし、そのちょっとふっと息を抜けた瞬間がやっぱり30勝、31勝した時。こうしてトロフィーを眺める時代が初めて来た時。母に「もういいよ」って言われた時。最近では孫ができたので、孫がもう2歳なんですけど、孫ができて自分がおばあちゃんになってしまった気持ちもどっと重くなったので、その時その時の変化はあるんですけど、でもやっぱり今の自分に何ができるかを常に探して、より良い前進を遂げたいっていう気持ちがまだ止まらないようなので、これがいつか横ばいになって、いつか止まっていくのかもしれないですけど、じゃあどんな自分になるのかな?これからは、というのをまた自分で楽しみたいなと思ってます。
この記事をシェアする
THE WORDWAYでは、読者から、アチーバーの記事を読んだ感想を募集しています。記事を読んだ感想、「昨日の自分を超える」トリガーになったこと、アチーバーの方々に届けたい思いなど、お送りください。いただいたメッセージは、編集部から、アチーバーご本人に届けさせていただきます! アチーバーに声を届ける

PROFILE

◆姫路麗(ひめじ・うらら) 1978年3月21日大阪生まれ。幼少期からクラシックバレエを習い、学生時代に宝塚音楽学校を受験も2次試験で不合格に。19歳で北野周一プロに弟子入りし、00年に3度目の挑戦でプロテストに合格。翌年に第一子を出産し、02年から本格的にトーナメントに参戦。07年の彦根プリンスカップで公式戦初優勝を果たすと、08年には公式戦の「ポイント」、スコア平均の「アベレージ」、「獲得賞金」の3冠を獲得。19年には通算20勝目をマークし、女子史上9人目の永久シードを獲得した。21年に通算獲得賞金が1億円を超えた。現在、通算勝利数は31で、2017年から日本プロボウリング協会の副会長も務めている。

HOW TO

THE WORDWAYは、アチーバーの声を、文字と音声で届ける新しいスタイルのマガジンです。インタビュー記事の中にある「(スピーカーマーク)」をクリック/タップすることで、アチーバーが自身の声で紡いだ言葉を聞くことができます。

RECOMMEND

あわせて読みたい

THE WORDWAY ACHIEVERS

隔週月曜日に順次公開していきます