Photo by Kondo Atsushi

「新しいことをするのにノーリスクはありえないし、失敗しても命はなくならない」

たむらけんじ #1

今回のアチーバーは、人気お笑い芸人で、「炭火焼肉たむら」を運営する株式会社田村道場代表取締役でもある、たむらけんじさんです。50歳となる今年5月にすべてのレギュラー番組を卒業し、アメリカへ活動拠点を移すことを発表しているたむらさん。19歳でお笑いの世界に飛び込み30年。多くのレギュラーを抱える人気芸人でありながら、「副業」と語るビジネスでも成功を収めるなど、唯一無二の存在感を放ってきました。人生は一度。他者からの評価を気にせず、挑み続けるために必要な考え方、たむらけんじさんにとっての「お金」とは―。今回は全3回連載の1回目。歩みを止めない男が、飾り気のない「WORD」で自らの生き方を語ります。

Q:まずお聞きしたいのが、目前に迫ってきたアメリカ行きの経緯、その理由や思いについて教えてください。

理由は、めちゃくちゃ沢山あるんですけど、まず、芸人を30年やらせてもらって、今年の5月4日で50歳になるんです。そこで一区切りをつけようと思ってるんですけど、芸人の仕事ってめちゃくちゃ楽しくて、最高なんですよ。18歳の時に「なるんだ」って決めて、30年やらせてもらえて、ふと50になるんやなと思った時に、この芸人の仕事以外に同じぐらい楽しいことがあるんちゃうかなって思ったんですよね。それが何かっていうのは正直、漠然として分かってないんですけど、50になって、僕80までは生きるって決めてるんです。そのちょうど30年がまた来るんやって。この30年をこの大好きな芸人のままでやるのか、それとも新たにリスクは背負うけども、もしかしたら芸人の仕事以上に楽しい場所があるんじゃないかなって思った時に、「ちょっと、そっち行ったろかな」と思ったんです。

Q:大きな決断です。迷いはなかったのですか?

全て失うんですけど、だけどそれが見つかったら安いもんやって思えるような場所を見つけるために、この50からもう1回再チャレンジというかね。あの時、18歳の高校出た何もわからん若造の僕が、この芸人の世界に飛び込んだ時のあのワクワク感をもう1回味わいたいっていうのが、一つ大きな理由ですね。

Q:「いつかはアメリカで」という思いは、以前からあったのですか?

いや、全くないですよ。だって芸人の仕事がもう最高に楽しいし、これ以上のものなんてあるわけないと思ってたから。コロナ、あるでしょう。コロナって、地球人みんなしんどかったじゃないですか。最悪やなと思ってるんですけど、けどなんかちょっとコロナのおかげかなっていうとこも、あるんですよね。

Q:コロナ禍で考えに変化があったということですか?

僕ら芸人って、「芸人たむらけんじ」しか僕の仕事をしたらダメなんですよ。例えば休んで代わりに行くっていうのはたまにあったりしますけど、基本は僕しかダメなんですよ。だから、スケジュールに関しても、僕の意図はひとつも入らないですし、全てが決められていく。その中で、ずっと仕事をやってきたんですね。何て言うか、ブレーキのない、アクセルしかついてない車にずっと乗ってる感じ。景色も見えないし、その中でもう何十年もやってきたんですよね。その時に、コロナで急ブレーキが踏まれたんですよ。1ヶ月、2ヶ月とか家で1人でいる時に、何か色々考えるじゃないですか。

Q:ふと立ち止まった時に、「このままでいいのか」という考えがよぎったと?

そうですね。それと、コロナになる直前に、アメリカのグランドキャニオンに行ったんです。その時も、「このままでいいんか」っていうのは思ってたんですよ。このままブレーキのない車に乗り続けていいんかって。僕、グランドキャニオンをなめてたんですよ。「すごいで」って言われているところで、行ってみたらしょうもないところっていっぱいあるじゃないですか。グランドキャニオンもよく聞く話やから、まぁええ景色なんやろうなみたいな感じで行ったら、とんでもなくて。400万年かけて、たった一本のコロラド川が削り出して、この景色を作り出したって聞いて、信じられなくて。しかも、まだそこに、そのコロラド川はあるんですよ。これ400万年後、どんな景色になってんねんとか考えて、スケールでかすぎるやろって思った時に、なんか自分が悩んでるのがアホみたいに思えてきて。だって、100年生きたとしたって、地球のアレに比べたら一瞬ですやん。これよく言う話ですし、実感はなかったんですけど、それがなんかバババッてきてしまったんですよね。

どこかにあったモヤモヤした思いとコロナ禍が重なり、新たな一歩を踏み出したい感情があふれ出たのですね。

それと、もう1つの理由はダウンタウンさんですね。僕はダウンタウンさんを見て、この世界に入ってきたんです。中学2年生ぐらいの時に、『4時ですよーだ』っていう番組で出てきた時にね、面白いより前に「かっこええな!」って思ったんです。そこから「あんな風になりたい」ってNSC入ったんですけど、一瞬でなれないことに気づくんですよね。「これ無理」って。そこから「じゃあ、どうこの世界で生き残っていくねん」っていうのを模索しだしたんですよ。コンビも解散してピンになって苦労して、もう辞めなあかんなっていう時もあったんです。でも、何とか運よくきた時に、松本さんとレギュラーの番組を持つことになるんですね。神様と一緒に仕事するわけですよ。それで6年半ぐらいかな。でも、番組がロケ番組やったんで、それもコロナで終わっちゃうんですよ。その、松本さんと一緒にやれてるっていうのが終わった時に、ぽっかり穴が空いたというのもありましたね。

Q:お笑い自体に対する思いにも変化が生じたということですか?

自分のお笑い能力でいくとMAXの仕事をしちゃった。そのMAXの仕事が終わっちゃった虚しさ、寂しさがあって。お笑いに対するチャレンジ精神と言うか、「第7世代」が出てきましたって言われても、戦う気がしなかったんです。今までは、どこに行ったって毎回戦いじゃないですか。けど、第7世代が出てきてテレビに出るメンバーがガラッと変わった時に、「オラァ!」ってなれなかったんですよ。「あ、これはちょっともう終わってんな」と。芸人として向上心がなくなってるやんってなった時に、この神聖な、大好きな芸人の世界にこんなやつがおったらあかんってなったんですよ。そこで、グランドキャニオンの景色とかも思い出したりして、「このまま、このブレーキのない車に乗ってたら、コロナが終わってまた走り出したら、もう俺どうなるかわからへん」って。その時に「あ、もうやめよう」と。やめて、「アメリカで、新しいおもろいことを探してみよう」っていう風に思ったんですよね。だから、あまりそう言いたくはないんですけど、コロナのおかげなんですよね。そうやって、50で辞めるんだって決めた瞬間に、めっちゃ気が楽になったんですよ。

Q:最終的には周囲の声もあり撤回されましたが、そんな思いもあって、一度は「芸人引退」を宣言されたわけです。大好きだからこそ、明確に線を引いて次の挑戦をスタートさせたかったということですか?

僕ら芸人ってね、仕事がなくても、芸人って言ったら芸人なんですよ。僕、正直それ、めっちゃかっこ悪いなと思ってて。芸人って仕事は、本当に麻薬みたいなもので。辞められないんですよ、楽しいから。いるんですよね、仕事もないのに、芸人のふりしてるみたいな。僕、それが嫌いで。僕も日本の仕事を全て辞めて行くねんから、芸人ではなくなるじゃないですか。なのに、芸人のまま行くっていうのが、すごい恥ずかしくて。ただ、先輩とか知り合いの社長さんから「芸人ということを使って商売してる部分もあるんじゃないの?」って言われたりして、僕の中でちょっと配慮が足りなかったなっていう反省もあって。けど、芸人ってやっぱりすごすぎるから、すごすぎるからこそ、何か辞めていかなあかんと思ったんですよね。中途半端にやったらあかん仕事なんで。

Q:1つずつつかみ取ってきたレギュラー番組をすべて降板しての渡米です。積み重ねてきたものを一度ゼロにして、新たな挑戦をするには大きな勇気が必要だと思うのですが、たむらさんのように、後ろを振り返らずに行動を起こすには何が必要でしょうか。

退路を断つとか、そういう感覚はないんですよ、本当に。だから、みんなから「もったいないなー」ってよく言われるんですけど、そのもったいないっていう感覚がないんです。何か新しいことすんのにノーリスクはありえへんやろと思ってるんで。今いただいてるレギュラーとか、芸人の仕事って、ギャラもいいじゃないですか。でも、それが無くなったらどうなんねんとか、全く考えてなくて。「もったいないなー」って言われて、「あ、もったいないんや」っていう風に思ったぐらいです。言われるんですよ、「お前、(辞めるって)言うてもうたから、ホンマは怖なってるのに、行かなしゃあないってなってんちゃうんか」って。でも、全くそんなことなくて。不安になることはありますよ。もちろんありますけど、何かね、昔からなんとかなるやんって思ってるんですよ。

Q:不安より「なんとかなる」が勝つと?

結局、こんな言い方したら「またアイツ金やな」って言われると思いますけど、お金じゃないですか、そのヤバくなるっていうのは。でも、自分さえ怠けへんかったら何とかなるでしょ。めちゃくちゃいい生活とかはできなくなるかもしれへんけど、でも生きれるじゃないですか。僕生きてたらいいと思ってるんで、失敗しても金がなくなるだけで命はなくならへんので。僕さえ怠けへんかったら、バイトでも何でもすれば飯食っていくぐらいのお金とかは絶対作れるわけですから。だから、命取られるんやったらアレですけど、金取られるって事は別に何にも怖くないし、そこはもしかしたら大きいかもしれないですね。ビビってないというかね。だからこそ、今回の決断はめちゃめちゃポジティブです。客観的に自分の状況とか、気持ちとがわかるから決断できたと思いますね。

たむらけんじさんの「THE WORDWAY」。次回♯2は、たむらけんじさんが「副業」と語るビジネスへのこだわりについて語ります。30年間の芸人生活で培った「自分だけが勝たない」姿勢、時間を区切り進むか撤退するかを決断する判断力とは。壁を壁と思わない生き方を、たむらけんじさんの「言葉」から感じてください。

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PROFILE

◆たむらけんじ 1973年5月4日、大阪府阪南市生まれ。高校卒業後に吉本興業に入る。高校の同級生コンビ「LaLaLa」でデビューしたが、99年に解散。その後はピン芸人として活動し、裸にふんどし、獅子舞姿で「ちゃ~」などのギャグを披露するピン芸人として活躍。「炭火焼肉たむら」などを経営する実業家でもある。愛称はたむけん。2021年に23年5月4日での「芸人引退」を示唆したが、22年12月に自身のYoutubeで撤回。50歳の誕生日で国内での活動を終え、アメリカ進出する。

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