Photo by Kondo Atsushi

「何かを変えることが人生の喜び。僕にとっては、それがたまたまカヌーだった」

羽根田卓也 #1

今回のアチーバーは、2016年リオデジャネイロ五輪のカヌー・スラロームで銅メダルを獲得した羽根田卓也さんです。父の影響で小学校時代に競技を始めた羽根田さんは、高校3年時に日本選手権で優勝。卒業後に強国スロバキアに単身渡ると、2016年リオ五輪では日本人、アジア人として初めてメダルを獲得する偉業を成し遂げました。35歳となった現在も世界を舞台に活躍しており、5度目の五輪となるパリ大会に向けて挑戦を続けています。過去の常識にとらわれることなく、道なき道を切り開いてきた原動力は何なのか―。冷静さと同居する熱い「WORD」の中に、次なる一歩を踏み出し、壁を乗り越えるヒントを見つけてください。今回は全3回連載の1回目です。

Q:リオ五輪の羽根田さんのメダル獲得で「カヌー」という競技に大きな注目が集まりました。小学生の時から一筋に向き合ってきたその魅力について、まずは聞かせてください。

最大の魅力でもある激流なんですが、間近にすると自分の背より何倍もありますし、その怖さが抜けるまではなかなかカヌーの事が好きになれませんでした。それが中学2、3年ですかね、結構時間がかかったんですけど、その激流を克服しきった時に、その魅力に取り憑かれました。タイム競技のスリルもありながら、アドベンチャーというかアウトドア競技ならではの迫力もある。水の上に浮かぶという非日常の気持ち良さや、激流を操って制し、自分のカヌーを思うようにスピーディーに進めていくという達成感、本当にいろんな要素が複雑に詰まった素晴らしい競技だと思っています。

Q:日本は競技人口が少なく、当時は本場ヨーロッパとは大きな力の差がありました。明確に世界を目指そうと思ったきっかけは何だったのですか?

中学校3年生の時にヨーロッパで初めて世界大会に出たときに、日本はまだまだレベルが低くて、世界の広さというか、世界の壁の高さに打ちひしがれながらも、自分の中で火がつきましたね。自分の中でビビビッというか、メラメラと燃えるものがありました。

Q:高校3年時には日本選手権で優勝し、卒業後に、さらなら高みを目指してスロバキアに渡ったと聞きました。馴染み深い国ではありません。非常に勇気がいる決断だったように思うのですが。

高校3年間、本当に競技に打ち込んできて、おそらく自分の競技人生の中で一番練習量が多かったですし、自分より練習している人間がいてたまるかという気持ちで毎日過ごしていました。ただ、目標にしていた高校3年生の国際大会で、すごく手応えはあったんですけど、このまま日本の環境にいては自分の目指すレベルには到達できない、海外の選手に勝って活躍することはできないと感じたんです。その大会をきっかけに日本を出たいという気持ちがすごく強くなりました。

Q:迷いはなかったのですか?

どこの国に行くのかという悩みはあったんですけど、日本を出ることへの悩みはほぼなかったですね。というのも、高校3年生の時点で自分の目標だったり、その競技におけるビジョン、到達したい地点がはっきりしていたので、その逆算から言うと日本にいる選択肢っていうものは完全に自分の中でなくなっていたんです。そういう意味で、日本を出ること、海外行くことの怖さっていうのは、麻痺していたかもしれないですね。

Q:将来の明確なビジョン、目標が自然と体を突き動かした感覚ですか?

そうですね。 海外に行くことは簡単なことではないですし、自分の中で不安がなかったわけではないんですけど、それ以上に自分の目的意識が勝っていたというか、また自分の人生におけるターニングポイントの中で、やはり厳しい道を選ぶということを常に大切にしていて、高校3年生のスロバキアに行くっていう決断をする時も、自分と向き合って、どの決断が自分のためになって後悔をしない道なのかっていうのを考えて、決断しましたね。

Q:結果的には、スロバキア留学によって国際大会で戦える確かな技術を身につけ、オリンピックの銅メダルをたぐり寄せました。10年以上におよんだスロバキアでの生活では、言葉や文化の違いなど、苦労もあったと思うのですが。

行った時は、自分にとっても馴染みのない国でしたし、友達も知り合いも全くいなかったので、寂しい思いをしたり、言葉でも苦労は多かったですし、「来なければ良かった」「もう帰りたい」と思ったことは一度や二度ではありません。ただ、大変な反面、自分の中でやりがいを見つけることができたり、大変な生活の中でもその中に充実感があって、それを乗り越えた時の達成感っていうのは、やっぱりこの厳しい道を選んだからこそ得られたものかなと思います。

Q:ビジネスの世界でも自分の選択が正しかったのか不安になったり、後悔して足踏みしてしまうといったケースは少なくありません。羽根田さんは、ネガティブな時期、うまくいかない時期を乗り越える際にどのようなことを意識していますか?

自分がスロバキアで、嫌になってしまったり本当に大変だなと感じた時は、「なぜ自分がスロバキアに来たのか」「スロバキアに来て、何を成し遂げたいのか」と常に自分に問いかけるようにしていました。(それ以外にも)街の中で子供達から指差して笑われたりといった差別を受けたこともあります。でも、そういった悔しさを意に介してる時間はないというか、それぐらい自分の中の目的意識が高かったので、「じゃあ差別が嫌だから帰るのか」という問いを、まず自分にすること。「自分は何しにここに来たんだ」っていう問い続けることで、気持ちを強く保ってたというところはありますね。そうすることで、自分の中で物事が整理できて、今、本当に自分がすべきことをしなければならない事ってものがハッキリしてくるので、そういう腐っている感情が徐々になくなっていたかなと思います。

Q:多くの自問自答を繰り返した約10年間のスロバキア生活です。キャリアにとっても大きなターニングポイントだったと思うのですが、羽根田さんがその中で最も学んだことは何ですか?

1つ挙げるとすれば、「何事もやってやれぬことはない」ということです。競技にしろ、スロバキアで通った大学にしろ、本当に大変な道のりではあったんですけど、やはり自分が「絶対やり遂げる」と決めたことは全部やり遂げてきた自信があるので、その間のプロセスっていうのは、もしかしたら関係ないんじゃないかなと思っているんです。やっぱり最後に大切なのは自分がやり遂げるっていう気持ちがあることで、プロセスも自然と作られていくんじゃないのかなと思いますね。

Q:途中経過に一喜一憂するのではなく、自分で設定したゴールまで粘り強く進み続けることが大事だと?

そう思います。アジアの東から出てきた少年が、オリンピックの表彰台に乗れるなんて本当に誰も信じなかったですが、そこを自分が成し遂げることにすごく価値があると感じていましたし、そこを自分が覆した時の光景っていうのを夢見てずっとやってきたので、そこのやりがいというか、自分の使命感だとかそういうものに日々向き合ってしてくことで、そういう不安な所を自分の中で日々消し飛ばしていくという感じですかね。

Q:「使命感」とは、何に対しての使命感だったのですか?

自分がカヌーを変えるという使命感ですね。カヌーという競技が日本で全く知られていなかったこと、自分がやっている競技で少し劣等感を覚えるような体験をたくさん今までしてきたので、それが悔しかったんです。そういった思いをしたのは僕だけじゃなくて先輩もたくさんしてきたんだろうなと思うと、それがすごく悲しくて、寂しくて。これは自分が変えないといけないと思って、スロバキアに行って変えようと思いました。

Q:劣等感を拭い去ることが、羽根田さんがカヌーをする1つの目的であり、困難に立ち向かう最大のエネルギーだったのですね。

カヌーがオリンピック競技だということをまず知られていなかったり、カヌーでオリンピックに出たとしても、やはりどこか冷たい目で見られてしまうんです。それはマイナー競技という特性上、日本における社会的立場を得られていないからで、自分の中でもメダルを取るまでは、「オリンピック選手です」とか「カヌー競技でオリンピックで入賞しました」と胸を張って言えない期間がずっとありました。その一種の劣等感、後ろめたさみたいなものが自分のエネルギーのように、どんどん溜まっていっていましたし、それを変えるのはやはり「オリンピックの舞台でメダルを取るしかない」という気持ちに強く変わっていきました。それが何より自分を動かす原動力になったかなと思います。

Q:劣等感が使命感に変わり、その具体的な表現方法を「五輪のメダル」に据えた。それが叶ったときに、「カヌーを変える」という目的を果たすことができると考えたのですか?

その通りです。自分が変えたいと思いましたし、自分なら変えられるかもしれないとも思っていました。周りの支えてくれた人、応援してくれた人たちもきっと思っていてくれたと思うので、そこで自分の中で責任感というか、使命感が強くなりました。カヌーは自分が楽しくてやってるわけではないんですね、正直。単純な誰かに勝ちたいといった勝負にはあまり興味がないというか、その勝負を経て、勝って自分が何を変えたいかとか、どういうことを周りに伝えたりだとか、共有できるのかなっていうことを日々考えたりしています。やっぱり自分がやることで変えられることがある、変えることで影響を受ける人たちがいる。自分の後輩にしろ、応援してくださってる方々にしろ、やっぱりそういう人たちの思いがあって、自分のカヌーは成り立ってるのかなと思います。

Q:スポーツに限らず、どんな世界でも、高い目標に向かって孤独な戦いを続けることは簡単ではありません。キャリアを振り返ってみたときに、羽根田さんが歩み続けられた理由はどこにあると思いますか?

何かを変えることというのは、どの領域においても人生の喜びだと思うんです。それがたまたま自分とっては、このカヌー競技っていうものだっただけで、正直、これがカヌーじゃなくても多分全然良かったと思っています。カヌーが楽しい、水の気持ち良さっていうのはもちろんあるんですけど、その自分が何かを成し遂げたいという気持ちの対象が、全く別のものでも、自分が何か変えれる、変えたい、何かやりがいを見つけれるのであれば、カヌーじゃなかったとしても自分はやっていたと思います。自分は歴史小説がすごく好きで、歴史上の人物の生き様にすごく憧れるところがありまして、何かを変えたりとか、そこに没頭していく、そこの素晴らしさっていうのに非常に感化された時期があって、それが自分の大きな原動力かなと思います。

Q:「やり切りたい人」へのアドバイスをお願いします。

やりきるために必要なこと…。やり切るためには、まず続けなければいけない。自分がメダルに到達したのも、やはりずっとトレーニングを続けて、スロバキアに行ってからも10年以上っていう年月があって、続けたからこそ成し遂げたことだと思うので、まず続けることが大切なんですけども。その続けていく中で、常に自分に問いを続けることが何より大切なんじゃないかなと思います。「なぜ、今日このトレーニングをしなければいけないのか」とか、「このトレーニングをしてどういった自分になりたいのか」とか、自問自答していくことで、自分の中で整理がついて、いつか来るその日にたどり着けるんじゃないかなと思います。自分もそうだったのでよく分かるんですけど、それは非常に果てしなく先の見えないトンネルのような道のりで苦しいんですけど、やっぱりそのトンネルを抜けないと、明かりにはたどり着かないので。

羽根田さんの「THE WORDWAY」。次回♯2は、羽根田さんが自分自身を客観視する重要性と、成長に必要な環境作りについて語ります。前例のない挑戦に踏み出すに至った思い、本物を知る重要性とは。人生の選択に迷いが生じたとき、成長に繋がる道を選ぶためのヒントがあります。

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PROFILE

◆羽根田卓也(はねだ・たくや)- ミキハウス所属 1987年7月17日、愛知県豊田市生まれ。小3の時に元カヌー選手の父邦彦さんに勧められて競技を始める。杜若高卒業前に父に留学を直訴し、06年3月から強国スロバキアに渡り、09年から地元のコメニウス大(体育大)大学院に在籍しながら練習を続ける。2014年の世界選手権で5位、同年のアジア大会では金メダルを獲得。2016年のリオデジャネイロ五輪ではアジア人として初めて銅メダルを獲得した。身長175センチ、体重70キロ。

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