Photo by Kondo Atsushi

「変わり続けても変わらないものを守っていこうと思っている」

西高辻󠄀 信良 #1

今回のアチーバーは、福岡県の太宰府天満宮第39代宮司・西高辻󠄀信良さんです。「学問の神様」として慕われる菅原道真公の御墓所の上に建てられた太宰府天満宮は、道真公を祀る全国約1万2000社の総本宮と称えられ、西高辻󠄀家は子孫として代々宮司職を世襲しています。西高辻󠄀さんは1983年から、息子の信宏さんにバトンを渡す2019年3月まで責任者である宮司を務め、歴史や伝統を守る重責を担いつつ、音楽や芸術との接点を積極的に作る先進的な取り組みでも注目を浴びました。「伝統」と「革新」―。組織、企業を発展、継続させていくための本質を、様々な時間軸で物事を捉えてきた西高辻󠄀さんの「WORD」から感じてください。今回は全3回連載の1回目です。

Q:ビジネスに繋がる「変えること」と「変えてはいけないこと」というテーマでお話を伺っていければと思っています。まずは、神社の仕事をイメージしづらい方も少なくないと思いますので、神社とは、宮司の仕事とはという部分から教えていただけますか?

神社は2つの面を持っています。1つは信仰、祈りの場であるということです。私どもの太宰府天満宮は、菅原道真公への祈りの場として、祭典・神事を斎行し、多くの参拝者の皆様にその祈りの場を提供しています。もう1つは運営です。神社は長い歴史がありますが、そのまま放っておけば、実は朽ちるだけなんです。なのでその時代その時代に、管理、そして営繕修理を行っていくわけです。ただ、営繕修理のためにはたくさんお参りをいただかなければ、費用お金も捻出することができないので、多くの皆様にお支えをいただくことで、初めて運営ができる。そういう場所だと思います。

Q:国内外から年間約1000万人の参拝者が訪れると聞きました。歴史を守る立場として大切にしてきたことはありますか?

皆様に喜んで太宰府天満宮にお参りをしていただく為に、神社として何をすべきか。私は、美しくないといけないと思っています。天満宮の境内に入った瞬間、「あ、何か変わったね」と。それは、言葉で表現できるかは分かりませんが、それぞれの人の心に響く、何かを感じていただく環境づくりをしなければいけない。目に見えるものよりも、目に見えないものの大切さですね。太宰府天満宮の場合は、樟(くす)の原生林の中にお社があります。古い木は1500年ほど生き続けているんですが、手を入れないと、枯れてしまいます。境内に約6000本ある梅の木も同じで、どのような状態なのか、どういう管理をしていけば、毎年綺麗に咲いて皆様に元気になっていただけるのかを常に考え、維持管理に励んでいます。

Q:西高辻󠄀さんの歩みについてもお聞きします。神社の責任者である「宮司」を世襲する西高辻󠄀家の39代目として生まれたわけですが、跡を継ぐのは自然な流れだったのですか?

普通の方との仕事の一番の違いというのは、私は時間軸だと思っています。僕らは、100年、200年過去のことを昨日のように話します。太宰府の土地を、私が素晴らしいと思うのは、道真公が西暦901年に大宰府に見えて、住んでいらっしゃった小さな館があるのですが、そこで「観世音寺」というお寺の鐘を聞くんです。そして、1100年たった今、国宝となっているその鐘は、今でも音を出せるんですね。この場所は、私達の祖先とタイムマシンみたいに繋がることができる場所じゃないかなと、私は思ってます。そういうものを日本人の財産として、僕らがお預かりする。そして、お預かりをするなら、自分の家の家業として、役に立つ術があるのではないかと。だからこそ、この家を継いでみよう、神職を継いでみたいと思いました。そして、私達の仕事は駅伝の選手のように、先祖から預かったたすきを次の代に渡す。ただ渡すのではなくて、預かった時間にどうやってプラス1点を取れるかなんですね。加点をしながら、歴史を紡いでいく。それが、我々の大きな使命じゃないかなと思って神職になることを決意しました。

Q:都内の大学(慶応義塾大)に進学されたと聞きましたが、他に興味を持った世界などはなかったのですか?

電通・博報堂など広告代理店に行って、街づくりをやってみたいという思いはありましたね。街をどうやって元気にするか、そんなことを本当はやってみたかったです。でも、30歳で宮司になった時に、自分が何もできなかったんです。そこで「果たして天神さまにどんなご奉仕ができるのかな」と考えた時、先代や先々代(の宮司)と比較されても、そこには足元にも及ばない。だったら、自分が好きな分野をご奉仕に生かしていければいいのかなと思ったんです。

Q:学生時代に抱いた「街づくり」という思いが、宮司として行き詰まった時、現状打破の糸口になったということですか?

そうですね。私ができるのは、参拝者との距離感をどうやって詰めるか、そしてここでお参りされた方に、どう元気になって帰っていただくかだなと。そのためにどんな「神社」という広場を作ればいいのかなということを、少しずつ、いろんな組み合わせをしながら形作っていくのが仕事だと思ったんです。例えば、季節感。どうすれば、祭典、行事、イベントを含めて、何回も太宰府天満宮に来て楽しんでいただけるか。日常じゃない、非日常空間の中で、何が私達にできることなのかなというのを、必死に考え続けました。だから、季節感を表せるときには、様々な季節の花を植えて、色がついて、色が変わっていく、そういうことも楽しんでいただきたいし、逆にもともとあった行事をアップデートして、みんなが浴衣で参加する夏祭りを作り、そこで踊る曲は、オリジナルも入れてみたりと様々な取り組みを行っています。違うことでアプローチをして、皆様と楽しく天神さまの杜で接点ができるようなやり方をしたいと思ったんです。

Q:色つきのおみくじなど、斬新なアイデアも話題になりました。伝統を大切にしつつ、「自分にできる」オリジナルの要素を少しプラスするようなイメージですか?

おみくじも、「なんで白ばかりなのかな」とずっと考え続けて、色を付けてもいいかないと。季節が変わるように、おみくじの色を変える。今では季節ごとに10種類の色があります。また4年に1度のサッカーワールドカップの開催にあわせ、(アーティストの)日比野克彦さんとみんなでワールドカップの日本代表を応援しようと「アジア代表日本」という市民参加型のプロジェクトを行ってます。アジア予選を勝ち抜いた日本代表が、「僕らはアジアの代表だ」と言ってるんだったら、アジアで予選に出た国のことを知ることも大切なことだなと思って、子供たちや参拝者の方々に、各国をイメージして作品を作っていただくワークショップです。また、この期間は街全体にブルーフラッグを掲げ大会への機運を盛り上げたり、日本サッカー協会の許可をいただいて、おみくじをサムライブルーにしています。

Q:新しいものを取り入れる際、西高辻󠄀さんが大切にしている基準のようなものはありますか?

ワクワク、ドキドキするようなことですよね。天神さまが今生きていたら、みんなが幸せで元気な社会であることを望んでおられると思うんです。じゃあ、僕らの仕事が仲執持ちとして、どういうことをやっていけば、神社との距離感を詰めながら、世の中や社会を元気にできるのかなと。ですから、いろんな出会いによって、どんどん変わっていったんですけど、天神さまが持っているエネルギーというのは、「子供の神様」じゃないかと思うんですね。だからこそ、包んでくれて、元気になれる場所であり続けたいなと思いますね。

Q:歴史がある特別な神社です。重責を担うと、歴史を「守る」ことの意識が強くなってしまうのではないかと思うのですが、新しい取り組みをすることに不安などはなかったのですか?

神様と対話をしながら、僕が一番楽しいことをやろうと。それで皆さんにお役に立てばいいのかな。守るものと、変えて変わり続けるものとがあって、僕は「変わり続けて変わらないものを守っていこう」と思っています。理想の神社というのは、100年前に御本殿と飛梅の前で撮った写真と、今生きてる僕らが100年後この場所で撮った写真が同じ神社なんだと思っているんです。そのためには、手を入れ続けなきゃいけない。ある意味で、変わり続けなきゃいけないんです。僕がやっていることは決して新しいことではなく、過去に私の先祖たちが考えたことをベースに、リメイクして、リフレッシュさせていくことだと思うんですね。

Q:変えていく必要があるものを変えなければ維持することができないと?

太宰府天満宮の現在の御本殿というのは再建されてすでに420年以上経ってますが、その当時の最先端の技術を用いて建てられたと思うんですね。最先端で本物だったから、結果的に作り変えなくて、現代まで残ってきた。これが中途半端な御本殿だと、また別の方が「これは天神さまの御本殿としてふさわしくないから、新しいもの作ろう」と、途中で考えてたはずなんですね。だからこそ、僕らが受け継いできた本物を、本物としてどうやって次の世代に渡していけるか。御本殿は変わらないものとして、全力で残すことの重要性ですよね。しかし、周りの環境や見え方は、その御本殿の素晴らしさをいかに感じさせるかというところで変えていかなければいけません。江戸時代と同じやり方では、通用しないんですね。だから、100年経って振り返ってみたら、変わってるんだけど、変わってない。100年後の人が見て、「何も変わってないじゃないか」と思えるのが、一番理想。変わってるんですけどね。私はそう思っています。

Q:西高辻󠄀さんのように、長いスパンと、短いスパンの両軸で考えることはビジネスでも重要だと感じます。その都度、ベストな決断をするにはどういったスタンスが求められますか?

1人だけでやろうと思わないことですね。1人だけで絶対やろうと思わない。たすきを受け取ってくれる人たちを育てることも私達の仕事だと思ってるんです。一代の宮司が、現役のバリバリで、ご奉仕できるのは約30年だと思ってますので、そういう意味で、30年後の景色を常に考えていました。当宮の中心となっている職員も子供の時から見ていて、この子たちを天満宮の神職として育てて、その次の時代の人材を育てる。また神社の杜があるんですけど、杜もそのままだと劣化するんですよ。ですから、どんな素晴らしい桜の木も、補植していかなきゃいけない。梅もそうです。次の世代が喜ぶ景色を、どのくらいイメージできるか。そのために、どのくらい手を入れていくか。そういう意味では、未来のためのプレゼントをどのくらい作れるかというのが、僕らの仕事の大きな役割かなと思ってます。

西高辻󠄀さんの「THE WORDWAY」。次回♯2は、西高辻󠄀さんが周囲とのWIN―WINの関係を作るために実践していること、目の前の成果を求めすぎない意識の持ち方について語ります。様々な時間軸で物事を捉えてきた中で見えた、「今」の生き方とは―。

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PROFILE

◆西高辻󠄀信良(にしたかつじ・のぶよし) 1953年(昭和28年)、福岡県太宰府市生まれ。慶応義塾大学文学部を卒業後に、國學院大學神道専攻科修了。1983年に太宰府天満宮および竈門神社宮司に就任。2019年太宰府天満宮の宮司職を長男に譲り、宝満宮竈門神社を本務神社とする。祭典奉仕に務める傍ら、太宰府天満宮幼稚園園長として教育分野に携わるほか、九州国立博物館評議員や、2022-2023年度福岡ロータリークラブ会長など、様々な役職を兼任している。

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