Photo by Kondo Atsushi

「今の自分の役割、未来、先祖に対する役割を確認することで見えてくるものがある」

西高辻󠄀 信良 #2

今回のアチーバーは、福岡県の太宰府天満宮第39代宮司・西高辻󠄀信良さんです。「学問の神様」として慕われる菅原道真公の御墓所の上に建てられた太宰府天満宮は、道真公を祀る全国約1万2000社の総本宮と称えられ、西高辻󠄀家は子孫として代々宮司職を世襲しています。西高辻󠄀さんは1983年から、息子の信宏さんにバトンを渡す2019年3月まで責任者である宮司を務め、歴史や伝統を守る重責を担いつつ、音楽や芸術との接点を積極的に作る先進的な取り組みでも注目を浴びました。「伝統」と「革新」―。組織、企業を発展、継続させていくための本質を、様々な時間軸で物事を捉えてきた西高辻󠄀さんの「WORD」から感じてください。今回は全3回連載の2回目です。

Q:長い時間軸で考える大切さという話を伺いましたが、ビジネスでは成果が次のモチベーションにつながることもあります。目の前の仕事にどのような意識で向き合えば良いでしょうか?

それはやっぱり積み重ねだと思いますね。この仕事をしていて、長い時間軸で生きていくと、楽しいこともいっぱいあるんです。例えば、太宰府天満宮の横に、2005年に開館した九州国立博物館があるのですが、その設置は私の四代前のおじいさんが描いた夢で、代々の宮司が、その夢を繋いできたんです。それと同じで、仕事は自分一人で既決しなくてもいいんです。ビジネスマンもそうで、全部自分で解決しようとすると苦しくなると思うんですね。でも、今の自分があるのはやっぱり、繋がってるんだと。先祖とも繋がってるし、未来とも繋がっているんだって。だからこそ、未来のため繋がってきた命を預かってるんで、未来のためにどうやってちょっとプラスをするかですよね。100点を常に取ろうとすると苦しいですよ。でも51点を取りきったら、黒字で終わり続けるんですね。代々51点を取り続けてたら、いつの間にか100点近くまでいくんです。その努力をすることかなと思いますね。

Q:「今」の結果や、自分自身の成果に執着し過ぎないことが大切だということですか?

博物館の夢も、先祖が作った夢なんですけど、それをみんなが同じ夢の松明を持って繋いできたから、結果的に私の時代に博物館ができたということじゃないかなと思うんですね。ですから、大変かもしれないけど、なるべく時間スパン、時間軸っていうものを大切にして、今、自分が立つ位置、自分の役割、未来に対する役割、先祖に対する役割を確認することで見えてくるものがあるような気がしています。ですから、私のご奉仕の仕方と、今の宮司の奉仕の仕方は違うんですが、それでいいと思うんですね。

Q:感謝の気持ちを持ちながら、過去と未来が繋がる「今」をいかに真剣に考え、同時に楽しめるかが大切だということですね。

そう思いますね。私自身は、皆様をどうやって元気にするかということを徹底して考えてきましたので、まず自分が元気じゃないといけないと思いました。例えば(アーティストの)ニコライ・バーグマンさんと一緒に、個展を天満宮の境内でやったり、マリメッコの展覧会をやったり。歌舞伎をやったり、コンサートをやったり、劇をやったり、いろんな人が集って、それを包んでくれるのが神社じゃないかなと思ったんです。だから、自分がやっぱり元気で、宮司というのは一番元気で、楽しいことを考えることが一番大切だと思いますね。

Q:それが、新しいものを取り入れてきた西高辻󠄀さんの基準になっているのですね。

そして、きちんと祈るものとして祭典や神事を続けていくことですね。伝統的な神事は、1000年間も続いてるわけですから。それらは、逆に古いしきたりのまま残すことが大切だと思っています。今、この国がコロナ禍で無くしているもの、この国を全体的に元気にしてきたのは、おまつりだったんじゃないかなと思うんです。日本中にあったおまつりの中で、過去と繋がり、神様と繋がり、人と繋がり、そのしきたりと繋がってきた。それが、コロナで全部無くなって、だんだん個人の社会になっている。今、求められているのは、逆に、昔持っていた共同体とか、連帯感、これが必要だと思うんです。そうじゃないと、どんどん個人として寂しくなっていくような気がする。その連帯感の場所として、僕らはやれるかなと。未来の神社の可能性として、地域の核となる病院みたいに人が集まって、神様を中心にみんなが楽しめる広場作りが大切じゃないかなと思っています。

Q:この時代だから求められる神社の可能性、これからの神社のあり方というお話ですが、具体的に西高辻󠄀さんが目指す姿はあるのですか?

いつも思ってるのは、「そうだ、京都に行こう」ってJR東海さんのコマーシャルがあるじゃないですか。あれを最初に聞いた時ね、ショックだったんです。私自身が「そうだ、京都に行こう」と思ったから。京都の街でイメージするもの、例えば、寺社、歴史、文化、食べ物を含めて、いつか「そうだ、太宰府に行こう」って皆様に思っていただけるような場所になりたいなって。太宰府の魅力は、今ある天満宮だけの魅力じゃなくて、いろんな人がここに住んで、実際にここから発信できる豊かさも作ってかなきゃいけないかなと思っています。

Q:太宰府天満宮だけでなく、地域としての魅力を深めていく必要があると?

九州は、歴史的事実としての文化のストックはあるけど、多くが中央へ出ていってしまっている。アーティストが本当に好きで住みたい街なのか、ここで物を作りたい街なのか、そう考えた時に、やはりここに住んで、物を作ってもらい、ここから新たな文化が生まれる、そういう場所でありたいと思う。そして、ここに来て感じたものを作品に変えてこそ価値が生まれるのかなと。地域の人とコミュニケーションをとりながら、面白い空間をたくさん作っていくこと。それが福岡の街にも絶対必要だと思ったんですよね。やっぱり若い人が住みたい街を作っていかなきゃ。ここで子育てもしたいよねって、こんな歴史があるところで、1000年前の景色を見ながら、同じところを歩けて、その空気とか気とかいうものをいっぱい持って、元気に生きていけるそんな人たちを作りたいよねって。だから、天満宮でも古い建物を買い取って、そこにみんな溜まれるようにして、そこでワークショップをしたり、いろんな人が協働できる拠点を持つことから始めています。

Q:住みたい街を作りたいという発想自体が、従来の神社が考える領域を超えているようにも思えます。

神社だけが盛んになっても意味がないんです。街全体が豊かに、身も心も豊かにならないといけない。どうやって、本当のWin-Winをたくさん作れるかですよね。私の父はは、戦後アメリカに留学して、野球が好きだったから、大リーグをよく見に行っていたそうなんです。まだ昭和30年代の初めのことで、それから日本に帰ってきて、最初に何を考えたかというと「いつか日本にも車社会が来る」と。だから、神社といえども、駐車場が必要だと。そこまでは誰でも発想できると思うんです。しかし先代は駐車場を作るべき場所として(天満宮の近くに)土地はあったけれど、わざわざ参道の一番下、電車の駅よりも先に作った。つまり、往復参道を人が歩けば、それだけ地域にお金が落ちていく。神社だけが盛んになるのではなく、地域の人も豊かにならなければいけない。地域経済を考えた時に、多少の借金をしてでも、その場所に大きな駐車場を作るべきだと考えたんですね。

Q:神社と地域が互いに良い影響を与えてきたということですね。

私が宮司になった時、「太宰府に来て何が問題ですか」ってアンケートをとったら、トイレだったんです。トイレを美しくしないと、どんなに境内を美しくしてもダメだなと思い、境内に6箇所ぐらい作ったんですよね。そして今息子の代になって、ちょうどその頃作ったトイレが、だんだん古くなってきて、また作り直している。でも、そんなことの繰り返しなのかなと。だから、役割分担があって、違うことを代々やってるんだけど、結局は繋がってるのかなというのが、私の実感ですね。

Q:様々な時間軸の中で、何が大切かを見極める視野の広さに驚かされます。

大切にしているのは、預かり物としての役割ですよね。どうやって、どういうことをすれば街が元気になって、街が盛んになっていくことにWinを作れるかっていうことへの、役割意識は大変強いのかなと思います。ただ、それがプラスになったり、答えっていうのは後でしか出ないんですね。結果的にやってきたことが、皆様から喜んでいただいたというだけで。それがうまくいってなかったら、独りよがりだったのかもしれない、私はただ常に、神様と参拝者の皆様、地域というのを意識しながらやってきましたので、そういう意味では、うまくいったのかなと思いますね。

そうやって地域に貢献していくには、太宰府天満宮としての確固たる運営も求められます。

その通りですね。私が預かったときは、1月から3月までは神社として成り立っていたんですが、4月から12月までは結構厳しかった。祈る人間としてではなくて、運営者としては4月から12月をどうするかというのが、私に与えられたある意味でプロジェクト、使命だったんです。その期間に何をしなければいけないか、どうやったら盛んにできるか、皆様に喜んでいただけるかっていうことですね。そこで、先ほど言った季節感だったり、行事だったり、おまつりだったり、様々な事を通して、何回も何回も太宰府に足を運んでいただくことができないかなと考えていました。

Q:経営という面を意識してきたからこそ、新しいものを取り入れることに積極的になれたということですか?

神職にとって、まず本業である「祈り」の部分は徹底して厳しいです。美しくないとダメだと。おまつり、ご奉仕、もちろん祭典での作法などは神職として神明奉仕に命を賭けるぐらいやらなきゃいけない。一方でただ太宰府天満宮という枠の中だけにいると、社会と隔絶されるんですね。神職のこと、神社のことしか分からなくなる。僕はそれではだめだと思っています。社会とお付き合いをして、社会の中における神社っていうものを理解し、尊敬される存在である場所にしていかなきゃいけない。だから、若い神職には「なるべく外の活動をやりなさい」「天満宮だけのご奉仕じゃなく、外の活動をやりなさい」と言います。その中で地域の人や、それぞれの世代の人たちと交流しながら、神社について考えていただいたり、ご縁をいただけるような人材になってほしいなと思っているんです。

西高辻󠄀さんの「THE WORDWAY」。次回♯3は、西高辻󠄀さんが「永遠の中の一部分を預かる」と語る宮司としてのこだわりに迫ります。歴史を背負い続けてきた中で見えた、現代のビジネスマンに送るアドバイスとは。西高辻󠄀さんの「WORD」に壁を乗り越えるヒントがあります。

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PROFILE

◆西高辻󠄀信良(にしたかつじ・のぶよし) 1953年(昭和28年)、福岡県太宰府市生まれ。慶応義塾大学文学部を卒業後に、國學院大學神道専攻科修了。1983年に太宰府天満宮および竈門神社宮司に就任。2019年太宰府天満宮の宮司職を長男に譲り、宝満宮竈門神社を本務神社とする。祭典奉仕に務める傍ら、太宰府天満宮幼稚園園長として教育分野に携わるほか、九州国立博物館評議員や、2022-2023年度福岡ロータリークラブ会長など、様々な役職を兼任している。

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