Photo by Kondo Atsushi

「選択肢がある時に迷いが生じるのは当たり前。大事なのは自分が選ぶこと」

深浦康市 #3

今回のアチーバーは、棋士の深浦康市九段です。長崎県佐世保市出身の深浦さんは、小学校時代に将棋の魅力を知り、プロを目指すことを決意しました。卒業後に単身上京し、故・花村元司九段に師事。日本将棋連盟のプロ棋士養成機関である「奨励会」で腕を磨くと、91年にプロ入り(四段昇格)を果たしました。93年の全日本プロトーナメントで優勝、07年には第48期王位戦で羽生善治名人から王位タイトルを奪取するなど、人気と実力を兼ね備えたトップ棋士として現在も活躍を続けています。自分の弱さと向き合い、1つの道を歩み続けてきたことで見えた境地は「英断」。迷いを絶ち、一歩を踏み出すために必要なものとは何なのか。今回は全3回連載の3回目です。

Q:将棋は一手一手が選択の連続だと思うのですが、対局中はどのようなことを考えているのですか?

そうですね、迷うのは大体2つか3つですね。例えば攻めか受けかの分岐点、相手が攻めてきたので攻め合いに応じるか、受けをしばらく受け入れて、しばらくして反撃する。駒を貯めて反撃するということですね。それと、もう一つ、大体2つか3つっていうところで長考することが多いですね。確かに指す前でも迷うことはあるんですが、いろいろ迷って結局選んだ手は、そこは自分が選んだ手なので、そのときはもう自信満々に指しますね。

Q:自分の決断を信じることが大事だと?

座右の銘で「英断」って言葉をよく書くんです。師匠の花村九段がよく色紙に書かれてた言葉で、決断をよくって意味なのですが、その「英断」っていう言葉を思い出しながら、しっかり指します。2人の人間が戦うことなんで、当然ながら、ちょっと首をかしげながら指すと相手に伝わるんですよ。だからもう自分が迷いながらも考えた手なので、あとはどういう展開になろうと受け入れるということですね。

Q一般社会でも、自分の決断が正しかったのか正しくなかったのか、どうしても結果によってそこを後悔してしまうケースは少なくありません。

「自分はいろんなプロセスの中で、こう選んだんだ」ってことが大事だと思うので、結果は仕方がないような気がするんですよね。失敗とか成功も含めて自分はこう決断をしたんだと、もうこれで行くんだという、そこに重点、重きを置いてるような気がするので、結果は仕方ないと思います。

Q:今は選択肢がすごく多い世界でもあります。一つ一つの選択を英断していくためには、どのようなことを意識していけば良いのでしょうか?

確かに選択肢が増えるのは現代の多様性の世界では当たり前だと思うのですが、 やっぱり自分は将棋と一緒で、「なぜそこを決断したのか」が大事なのかなと思います。一旦決めたらもう後戻りできないですから、そこから先の最善手を考えるというところに重きを置くと。大一番であれば緊張感も出てきますし、迷いが生じるのは将棋でも、社会の選択肢でも当然のことです。だからこそ、「自分が選ぶ」ということが大事なんです。「将棋は何を指しても一局」という言葉があるんです。どの道を選んでも一局、 作り上げた棋譜がA、B、Cって出来上がるだけで、人生も一緒かもしれないですね。今の仕事を選んでも転職しても一局の人生ってことですかね。

Q:将棋界は師弟制度があり、深浦さんにもお弟子さんがいらっしゃいます。指導する上で意識していることなどはありますか?

見守るってことを大事にしていますね。将棋を(教えるのは)結構難しくて、自分本人がやってることに大鉈を振れないというか、師匠が大きな力を及ぼしてもそんなに変わらないですし、10代の子でもしっかりした意欲とか、そういったものがあるので、師匠がいろいろ言っても状況はそんなに変わらないですから。あと自分は東京や大阪といった都市圏からは弟子をとらないようにしてるんです。それは自分以外にもプロ棋士はたくさんいるので、それよりも地方のなかなかプロ棋士と出会えないようなところから弟子を取るようにして、そういった子の手助けをしたいなと思っています。そういった中に才能を持った子もいると思うので、そういった子の師匠になることによって、可能性を引き出していきたいなと思っていますね。

Q:ー番弟子の佐々木大地七段は同じ長崎出身で、6月から棋聖戦、7月から王位戦で藤井聡太7冠のタイトルに挑戦することで大きな注目を集めています。

佐々木は、自分と同じ長崎県の対馬という離島出身なんですが、11歳の頃に初めて福岡の空港で会った当時は心臓病を患ってまして、拡張型心筋症ということで、鼻チューブをしていたんです。酸素を送り込むような機器とお父さんと一緒に会ったわけですけれども、こういう病弱な子が過酷な奨励会、プロを目指す競争の激しいところで勝ち抜けるかどうか非常に悩みました。ただ、生死を彷徨うような状態を小学校とかで経験していましたが、将棋に勝ったり、将棋を指す喜びもあってか、お医者さんがびっくりするぐらいの回復度を見せて、体力の回復具合と同時に棋力もどんどん上がり、今は挑戦者として戦えるまでになりました。一度生死を彷徨うという危険な状態にいた佐々木だからこそ、しっかり戦ってくれるかなと本当に期待していますね。

Q:佐々木さんも見守ることで成長を促してきたのですか?

奨励会時代の初段ぐらいの時に調子が悪くて、あと3敗してしまうと下のクラスに落ちてしまうということがあったんです。その時に「将棋を指そう」と声をかけて、お昼のランチでステーキに誘ったんです。本人は、お母さんから2000円のランチ代をもらっていたんですけど、ステーキの値段を見ると3000円ぐらいするもので、食事中はビクビクしてたらしいです。その時に、自分が支払いをして「プロになればこういったものはいつでも食べられるんだよ」と言ったらすごくホッとしたと。その時の何気ない一言が、佐々木にとってはその後のモチベーションになったようで、「そこから 連勝できて、また上り調子になった」と後になって聞いたので、そういった場面での声掛けも大事なのかなと思いますね。

Q:貴重なお話をありがとうございました。最後に、深浦さんの今後の目指すもの、目標を教えてください。

そうですね。自分は今51歳なんですが、ベテランの棋士になるとやっぱりタイトル戦っていう最高の舞台に出ることは目標としてますし、大変だとは思いますが、なんとか達成したいですね。自分の良い面を一戦一戦出していけば、決して夢ではない目標だと思ってます。

Q:まだまだ大好きな将棋とプレーヤーとして向き合い続けるのですね。

そうですね。弟子の佐々木の年齢とは親と子ほど離れているので、一つの家庭の形として親父が頑張って、子供がその頑張りを見ている。それがまた子の成長につながるってことももちろんあると思うので、自分が頑張ることによって、弟子に与える影響も少なからずあるのかなとは思っていますし、そういう形で弟子の成長も見ていきたいですね。
この記事をシェアする
THE WORDWAYでは、読者から、アチーバーの記事を読んだ感想を募集しています。記事を読んだ感想、「昨日の自分を超える」トリガーになったこと、アチーバーの方々に届けたい思いなど、お送りください。いただいたメッセージは、編集部から、アチーバーご本人に届けさせていただきます! アチーバーに声を届ける

PROFILE

◆深浦康市(ふかうら・こういち) 1972年(昭47)2月14日、長崎県佐世保市生まれ。12歳で単身上京し、故・花村元司九段に師事。1991年10月にプロ入り(四段昇段)を果たし、93年5月、四段で第11回全日本プロトーナメントで公式戦初優勝。03年朝日オープン優勝など実績を積み、07年9月、第48期王位戦で羽生善治を破り初タイトル。その後、王位を3期保持。自らの呼びかけで将棋連盟のサッカーチーム「ケセラセラ」を結成するなど、サッカー好きとしても知られる。

HOW TO

THE WORDWAYは、アチーバーの声を、文字と音声で届ける新しいスタイルのマガジンです。インタビュー記事の中にある「(スピーカーマーク)」をクリック/タップすることで、アチーバーが自身の声で紡いだ言葉を聞くことができます。

RECOMMEND

あわせて読みたい

THE WORDWAY ACHIEVERS

隔週月曜日に順次公開していきます