Photo by Kondo Atsushi

「何かを習得する時、習得が目的ではなく、それで何がしたいかまで想像を膨らます」

田村大 #1

今回のアチーバーは、スポーツをテーマにしたイラストで世界から注目を集めている、アーティストの田村大さんです。田村さんは、学生時代バスケットボールに熱中し、高校ではインターハイでベスト8、大学でもプレーされました。大学3年時に幼い頃から好きだった「絵」の世界で生きていくと決意すると、卒業後に専門学校に入学。20代後半までは一般企業でデザイナーとして勤めますが、仕事を通じて「似顔絵」の魅力を知り、商業施設などで似顔絵を制作する会社に転職しました。7年間で3万人以上の顔を描き、2016年には似顔絵の世界大会「ISCAカリカチュア世界大会」で優勝。その後、プロバスケットボール選手の絵がSNS上で注目され、18年に独立。現在は、スポーツ選手だけでなく高級ブランドとのコラボなど様々なプロジェクトに携わりながら、アートの世界にも進出するなど、活動の幅を広げています。道なき道を切り開いてきた田村さんが大切にしてきたのは「目標に向けた明確な戦略」と「環境の変化を恐れない姿勢」。田村さんの「WORD」から一歩を踏み出すエネルギーを見つけてください。今回は全3回連載の初回です。

Q:近年は、京都で100年の歴史を持つ画廊「松本松栄堂」の展示会への出展を行うなどアートの方にも仕事の幅を広げていますが、田村さんが注目を集めるきっかけとなった「イラスト」と「アート」。2つの表現方法をどのように使い分けているのですか?

イラストは、僕にとって「お客様ありきの仕事」で、クライアントが実現したい世界感やイメージを、いかに形にするかを大事にしています。アートの活動の方はいかに自分の世界観に引き込むか。なので、買う方の顔が見えていない中で、多くの方の感性に引っ掛かるような、届くような絵を自分が描きたいように描いて引き込んでいく。そんな風にイラストとアートというのを住み分けて活動しています。

Q:「絵」の世界というと、職人的なイメージもありますが、真っ白なキャンバスに向き合った時、どんなことを考えながら描き初めていくのですか?

僕が絵を描きながら思っていることは、完成した時に喜んでくれる方を想像する以外なくて。それって一瞬なんですけど、その一瞬の達成感の為に「戦うぞ」っていう感じでスタートしています。「楽しそう」とか「描きたいな」というよりは、一枚の絵と「戦う」感じですね。描きたい絵を人知れず描いていくっていうのが絵描きだとしたら、僕はお客様とか、その絵が欲しい人がいて、その方に届くものを描きたいと思って描いているんです。例えば展覧会を見に行って「あれ?これ、こっち(自分)のせいで分からないのかな」って時あるじゃないですか。僕はそれがすごく嫌で、アートであっても「届かなければ意味がない」という思いでやっていますね。

Q:自己満足であっては作品の意味がないと?

すごく印象的なお話があって、世界的にベストセラーになった絵本が、実はある母親が自分の子供に向けて描いた絵本だったという話を聞いた時に、初めから多くの人に伝えようとすると実は伝わらなくて、ターゲットや伝えたい人が明確なほど多くの感動を生むっていうのがすごくいいなと思ったんです。その時に、絵には対象が必ずいるので、その人に喜んでもらえることが、多くの感動を生むんだなって。やっぱり届けるっていうのがメインですね、気持ちとしては。

Q:田村さんが世間から注目を集めるきっかけは、躍動感のあるバスケットボール選手の「似顔絵」でした。デザイナーとして勤めていた会社を辞めて、人物の性格や特徴を際立たせた人物画「カリカチュア」の世界で勝負しようと思ったのはどのような流れだったのですか?

少年時代に、バスケットのNBAで優勝したTシャツとか見ると、すごくユニークな絵が描かれてたんですよ。それを思い出して、「これ好きだったな」と感じたタイミングで、偶然、海外の似顔絵の作品を見て、昔のNBAの記憶とがバチっと来たんです。そこで、やりたいなって。ただ、習い始めても、やっぱり上手くいかず、それが悔しくて2週間目に仕事を辞めました。

Q:そこから専門学校を経て似顔絵制作会社に転職し、7年間で3万人の人の顔を描いたと聞きました。

そうですね。新人は、最初は先輩と並んで描くんです。そうするうちに団体が来た時に、同時に描き始めると、仕上がりによってダイレクトな反応が来るじゃないですか。こっち(先輩)の方が上手いって。そしたら全員そっちに並んじゃって、1人だけ僕に描かれた人が「うわ、俺もそっちで描かれたらよかった」って表情をしていると…。その後、僕はただ待っているだけという地獄のような空間を味わったので、これは上手くならないときついなと思ったんです。そこから、毎日毎日練習です。男女、年齢、国籍、いろいろな人、1日多い時で66人描いてヘロヘロになっていました。

Q:芸術の世界に限らずだと思うのですが、違うフィールドに飛び込んだり、ゼロから新たなスタートを切るには勇気もいります。なかなか一歩が踏み出せずに、思いや考えばかりが先行する人には何が必要だと思いますか?

僕が絵を描いている目的は「人と出会うこと」なんですよ。だから絵を描くことが目的の段階だと、使い方が分からないですけど、多くの人に出会って自分の価値を高めていくっていうのが目的で、その為に絵を描いている。だから皆さんが何か習得したい時に、習得が目的になっているとしたらそこまでで、それを持って何がしたいかまで想像が膨らんでいれば、それを逆算することで、身に着けていくものも変わるかもしれないですよね。どこに立って身につけるかというのが、大切な視点かもしれないですね。

Q:2016年に似顔絵の世界大会で優勝し、転職から7年後には独立されました。絵で生きていくという道を選んだ過程で、どのような目標を設定していたのです?

最初は、自分で店を持って、そこで絵を描いて販売というか、人を描いていくにはどうしたらいいかと考えたんです。じゃあ技術が足りない、あと実績も足りないなと思って、まず「世界一を獲ろう」と。独立を視野に入れていましたし、「死ぬまで絵で生きていく」という実現したい未来があったので、その為の「世界一」って感じでしたね。なので、7年で辞めると決めていたわけではなくて、とにかく3回目の世界大会で世界チャンピオンになるというのを目標にして、戦略を立てたんです。まず3年目でその大会に出るとか、そういうのを1つずつ遂行していった結果、7年目で世界一をもらって、独立した感じですね。

Q:世界一になることが目的ではなくて、世界一を獲ることで仕事を広げていこうと?

日本の場合は、肩書きや勲章も大事かなと思っていて。それは独立してすぐに意識したことでもあるんですが、アメリカの人たちは「何者か」よりも「いいものかどうか」が大事だと僕は認識してるんで、そういう意味でも必死でしたね。

Q:独立後の具体的な目標はあったのですか?

独立して最初に立てた目標は「NBAと仕事をする」ということでした。自分にとって、一番得意な絵をかけ合わせることが自分の最強の武器になると思っていたんです。NBAという肩書きさえあれば日本で相手にされるかなって。その時も、その為にNBAと仕事をするって逆算して目標を立てました。

Q:幼少期から書き続けてきたバスケットボール選手の絵という、最も得意なフィールドでNBAまでたどり着けば、日本での成功を勝ち取れると?

もちろん、最初はどうやったらなれるか分からなかったんですよ。毎日描いてるこの絵がNBAに繋がってるのかなとか、(似顔絵の)世界大会に出ていたアメリカ人とかに「どうやったらNBAと仕事できるの?」って聞いても、「分からないよ」って。じゃあどうしようって思った時に、一番頭がいい友達に相談しようと思って、算数で日本一になった幼馴染みといろいろな戦略を立てていたら、楽天さんがNBAとオフィシャル契約を結んだ次の年だったんです。それが、まだ「インスタ映え」っていう言葉ができる1年前で、じゃあインスタを頑張ってフォロワーを増やして、「フォロワーが多い」「NBAの絵もたくさん描いている」っていう武器があれば見てもらえるかなと思って、まずその準備をしたんです。毎日絵を描いて、毎日アップして、フォロワーを増やす感じですね。

Q:結果はどうだったのですか?

独立したのが2018年1月なんですが、3月が(楽天の)三木谷さんの誕生日だってことが分かったんですよ。じゃあ、思いっきりアプローチの為に描いて、タグ付けして喜んでもらえたら何かあるかもと思って、当日ポストしたらフォローしてくださったんです。チャンスだからと「僕の目標はこれです。今こういう活動してて、こういう実績があります」ってDMを送ったら、普通相手にしないと思うんですが、三木谷さんはすぐに繋いでくれたんです。それで、5月からもうNBAのお仕事がスタートしたんです。

Q:目標への最短距離がどこにあるかを分析し、戦略を立てることで、一気に未来を切り開いたということですね。どういう発想でその作戦を立てたのですか?

「絵」は食っていけないイメージがあったので、逆をやろうと思ったんです。絵描きって今までのイメージは全然1枚が完成しなくて、その間に発信するものもなくて、それが売れるかもわからない。だったら毎日完成させられる絵にして、毎日発信して必ず買ってくれる人がいる状況で描こうみたいな。逆をやろうと、そしたら上手くいくんじゃないかなと思ったんです。そういう活動してる人があんまりいなかったんですよ。

Q:アイデアと同時に、思いにブレーキをかけない行動力にも驚かされます。

NBAと仕事がしたいと思った時に、「楽天」だって言うと、みんな大体近くの楽天の人を探すじゃないですか。下から行くと時間かかるんだったら、もうトップにズバッと言っちゃえば珍しいんじゃないかなって。そうすると三木谷さんも「こんなやつ珍しいな」って思うかもしれない。そんな風に、人がやらない逆のことをやろうと思ってやった感じですね。

Q:独立して幅広くどのような分野でも描ける中で、あえてバスケットボールの絵で勝負したのは、幼少期から続けてきたバスケットへの愛情からだったのですか?

それもバスケが好きだからじゃなくて、世界一になった時にカリカチュアの一番すごい人のインスタのフォロワーを見たんです。フォロワーの数が戦闘力のようになる日が来るなと思っていたので。そしたら2万人しかいなくて。そこでNBAのフォロワーを見たら3000万人いたんですよ。だったら絵が好きな人を取り込むより、バスケが好きな人を取り込んだ方がフォロワーが増えるなと思ったんです。だから一番得意なNBAの絵を描いたのは、好きだから描いたんじゃなくて、フォロワーが増えるからっていう感じですね。

Q:それも戦略だったんですか。

戦略ですね。

Q:「技術+ビジネス」の視点が、田村さんの成功を生み出していると感じます。

例えばバスケで高校時代に東京1位の学校でどうやったら自分が上がれるかとか、ゼロから上に行くことを毎回考えていたのが癖になっていたんじゃないかと思います。ビジネスっていう意識じゃないんですけど、戦略を立てるのが好きですし、世界一になる時もこの10か条を守れば世界一になれるっていうのを自分でまとめて、それを3日半の大会中に遂行していった感じなんですよ。

Q:アーティストとして技術を追求する姿勢と、自己実現するためのビジネス的な面を、どのように線引きしているのですか?

絵が苦しくなる人は絵を描くことが目的なんですよ。僕はその先に実現したいものがあって、それが実現すると嬉しいから描いてるんで。だから描くことが苦しくても全然良くて。人と出会ったり、自分の絵がここで使われるとかっていう時に報われるので、結局戦いなんですよね。絵を描くことは。別に楽しむとこじゃないというか。バスケットも練習がいかに楽しくても、負けたらつまらないじゃないですか。みんなで笑いながらやっていてもしょうがなくて、そこで勝つから楽しいし、だからスポーツをみんな頑張るんだと思うんです。

Q:プロとして生きていく上で、目の前で自分がやっていることの先に目的を設定することで、苦しいことも消化できるというイメージですか?

そうですね。「楽しく絵を描きなよ」とかって言うじゃないですか。それが趣味ならいいんですけど、それで生きていかないと、どこかで絵を描くのを断念しなきゃいけないんで。自分の目的である「死ぬまで絵を描く」為にはそうせざるを得ないという感じですかね。

田村さんの「THE WORDWAY」。次回♯2は、田村さんが自身のキャリアを振り返り、絵との出会いや、新たな世界に挑戦するときに大切にしている考え方、自己ベストを更新し続ける意識について語ります。田村さんのポジティブな生き方の原点とは―。後悔しない生き方につながる「言葉」があります。

この記事をシェアする
THE WORDWAYでは、読者から、アチーバーの記事を読んだ感想を募集しています。記事を読んだ感想、「昨日の自分を超える」トリガーになったこと、アチーバーの方々に届けたい思いなど、お送りください。いただいたメッセージは、編集部から、アチーバーご本人に届けさせていただきます! アチーバーに声を届ける

PROFILE

◆田村大(たむら・だい)1983年(昭58)9月10日、東京都八王子市生まれ。高校時代にバスケットボールでインターハイでベスト8。大学時代は主将を務める。卒業後本格的に絵の勉強を始め、17年まで7年間、似顔絵製作会社に勤務。2016年にISCAカリカチュア世界大会で総合優勝。18年に独立。日本を代表する選手である八村塁や渡邊雄太を始め、ステフィン・カリーやシャキール・オニールなどの著名なNBA選手からも高い評価を受けている。2019年からはアートの世界でも作品を発表。国内外から高い評価を受けている。

HOW TO

THE WORDWAYは、アチーバーの声を、文字と音声で届ける新しいスタイルのマガジンです。インタビュー記事の中にある「(スピーカーマーク)」をクリック/タップすることで、アチーバーが自身の声で紡いだ言葉を聞くことができます。

RECOMMEND

あわせて読みたい

THE WORDWAY ACHIEVERS

隔週月曜日に順次公開していきます