Photo by Kondo Atsushi

「大きな目標に到達するために、目の前の先輩を抜こうと思ってやってきた」

オール巨人 #1

今回のアチーバーは、お笑い界の大御所である漫才コンビ「オール阪神・巨人」のオール巨人さんです。1975年にコンビを結成した巨人さんは、同期の明石家さんまさん、島田紳助さんらとともに注目を集め、正統派の「しゃべくり漫才」で人気を博しました。多くの芸人に影響を与えた卓越した芸で、上方お笑い大賞、上方漫才大賞など数々の賞を受賞。2019年には芸術分野の業績をたたえる紫綬褒章も受賞されました。劇場の出演にこだわり、走り続けてきた48年。壁を乗り越えるために支えとなってきた、「負けたくない」という思い、芸と向き合い続けてきたからこそ分かる、次世代に伝えたい思いとは―。今回は全3回連載の1回目です。

Q:この春で、デビュー48周年を迎えました。まずは、巨人さんがこれだけ長い期間第一線を走り続けてこられた理由、そのために意識してきたことを教えてください。

やっぱりライバルがたくさんいてて、負けたくないというのと、お客さんが来てくれはる。待っててくれはる。やっぱりやらないかんというのもありますよね。ライバルは凄かったからね。紳助、さんま、桂小枝、一球・写楽さんとかたくさんいてるんですけど、昭和49年組でとにかく負けたくないというのがありましたね。同期は大事だと思います。今NSC(吉本総合芸能学院)の子でもね、「同期、どうのこうの」とよく言いますよね。「彼が同期だから頑張らないかん」とか。そういうのはやっぱりありますよね。

Q:近い世代の芸人に「負けたくない」という思いは、デビュー当初から強くあったのですか?

そうですね。仲いいんで、口には出しませんでしたけどね。だから、集まったら同期というより「戦友やな」とか言う時もあります。さんまなんかは噺家さんからタレントさんになったんですけども、漫才師も漫才ブームが来る前でしたので、のりおよしおさんも、ぼんちさんとか、いくよくるよさんもそうですし、たくさんいてはって、そこら辺に負けたくないのと、自分が目標にしてる大きなものがあって、例えばやすきよさんとか、もっともっと上のいとしこいし先生とかね。そこまでたどり着きたいねんけれども、一挙にそこ行くのは難しいですから、目の前のちょっと(上の)先輩を抜いていきたいという形でやってましたね。

Q:目の前の先輩を抜き続けることで、大きな目標に近づけると?

僕らの時はね、(海原)かけるめぐるさんだったんですよ。(身長が)大きい小さいで。ちょっと自分たちに形が似てたんですよね。そこをひとつ前の目標というかね。僕、いつも若手にも言うんですが、「何か大きな目標を持つより、まず目の前のものを抜いていったら、その大きな目標に到達できると思うよ」って。いきなりそこに行こうと思ったら、「もうあかんわ」って諦めたり、挫折したりするからね。真ん中に大きな目標を掲げて進んでいく大谷選手の81マスの感じですよね。

Q:幼少期からそうした目標設定の意識はあったのですか?

芸人をやる前からそれはありましたね。というのは頭は悪かったんですけど、商才と運動能力は高かったもんで、走ったり跳んだり跳ねたりする、それは絶対負けたくないと思って陸上部に入ったり、バスケット部に入ったりね。高校は柔道をやってたんですが、同級生にものすごい強いやつがいてて、そいつに負けたくないとかね。卒業して商売をやる時も、うちの親父がやってた卵屋で、鶏卵を10キロ単位で食堂とか市場とかに卸すんですよ。もちろん「うちの卵取って下さい」と営業もしないとあかんわけです。その時兄貴2人も同じ商売をやってて、店員さんが10人ぐらいいてたんですが、やっぱりみんなに負けたくないから、僕は一番たくさん売ってくる。1日で500キロ、1000キロ売ったこともありますよ。

Q:そこから、なぜ芸人の道に進もうと思ったのですか?

それはやっぱりお笑いが好きだからですね。漫才というか演芸全般が好きでした。きっかけはアマチュア番組で色んな賞を獲って、僕と阪神くんとあと2人、4人でグループを組んでてね。そのグループであっちこっちオーディションに行ってたんですが、その時にスカウトされましてね。「その背の高いのと、ちっちゃいので漫才やれへんか」ということになったんです。オーディション会場で、急に「ええから2人なんかしゃべれ」ってね。そしたら、めちゃめちゃウケたんですよ。どういうわけか爆笑やったんですね。ほんで「吉本入れ」ということでスカウトされて、「いっぺんやってみようかな」と思ったんです。卵の仕事は同級生にやってもらうように引き継いで、吉本に入ったという、簡単に言うとそんな経緯ですね。

Q:どのような世界でも、「負けたくない」という思いは成長する原動力になると思いますが、気持ちだけでは前に進むのが難しいケースがほとんどです。

芸人なってからは、そうですね。周りに負けたくないと思っても、やっぱ負けるんですよね。紳助竜介なんかは一番おもろかったり、ぼんちさんがドンと行ったりして負けてるなと思って。その時はね、一旦休まなしゃあないし。休んでる間に、よう言いますよね、「ジャンプする時は一旦しゃがまなあかん」とか。そんな感じでいてましたけどね。焦っても仕方がないかなと思いながら、やってるうちに、他にないもの、芸人で言いますと、「しゃべりの漫才師」って言われるようになっていきましたね。

Q:「しゃべりの漫才」というオール阪神・巨人の絶対的な武器にたどり着くまで、ライバルだったさんまさん、紳助さんの存在は意識していたのですか?

本当にあの2人には勝たれへんと思ってました。よく紳助漫才辞めてくれたなと思って。でもね、しんちゃんはしんちゃんでね、一生漫才をやる気はなかったみたいで、「巨人阪神に普通の漫才では絶対勝たれへんと思って、ああいう漫才をやっていた」というのを聞いてたし、そこにダウンタウンが出てきて、「もう俺らはいらん」と紳助が考えてやめていったんですよ。「普通の漫才やったら巨人阪神に勝たれへん、今の漫才やったらダウンタウンに勝たれへん、ならもうやめよ」「漫才はやりきった」って言ってましたね。昔から紳助は隙間を狙って、隙間芸人って自分のこと言ってました。隙間芸人には見えへんねんけどね。とにかく人がやってないものを目指していくという、そういう人間でした。そして隙間の先に大きな物を見つけたんですよ。

Q:お互いに影響を与える特別な存在だったのですね。

余談ですけれども、紳助のアパートに行ったら、引き出しの中にネタ帳が山盛りあって、面白いんですよ、どれ読んでもね。壁には折れ線グラフ、棒グラフ、円グラフ、いっぱい書いてるんですよ。西川きよしさんはこういう人間やとかね、いっぱい書いてあって、僕ら巨人阪神の事も書いてあって、巨人阪神は「ヤクルトの大杉」やと。めちゃめちゃ実力あるけど客呼べへんとかね。やすしきよし師匠は、京都の懐石料理やと。中身はそうでもないねんけど、器でもの食わすとかね。そんな事ばっかり、めちゃめちゃ研究してましたね。その上で、他にないものを目指していくって紳助は言ってました。

Q:トップに立つ人も、「売れる」というゴールのために、それぞれの手法で道を探しているのですね。巨人さんは、「王道を進もう」「王道で勝負しよう」という意識はあったのですか?

全くなかったです。阪神ちゃんのアニメのモノマネとかやってましたから、それは王道ではないですからね。でも、出だしは何かのきっかけでも、ジャンプして、デビューのリングでラッキーパンチが当たって相手に勝つことありますよね。ラッキーパンチが当たって勝った人間は、次のリングで普通は負けるんですよ。だから、次のリングまでになんとか力をつけて、次のリングに上がろうと、そういうことを考えてやってました。当時ヤングオーという番組があって、とにかく毎週、毎週、ネタをやらなあかんかったので「このネタはどこで笑ってくれるんやろう」って、そんなんばっかり考えてました。余裕はなかったです。ずるいですが、毎週毎週ネタやらなあかんもんで、必死で考えてて、たまに絶対ウケるネタができるんですよ。そしたらね、2週ぐらい適当なネタをやるんです。そしたら、ディレクターとかプロデューサーが怒るんです。「お前ら、何やっとんねん。おもろないネタばっかりやりやがって」って。そこで「来週頑張ります」ってストックしてたやつをやるんです。そしたらウケるんですよ。「やったらできるやないかい」って。それは作戦でしたね。おもろいネタは、怒られるまでちょっと置いとくんです。そんなことばっかり、52週間やってましたからね。

Q:巨人さんのように、オリジナルの戦術を築き上げるには、どのような意識が必要でしょうか。

オリジナルな戦術より、流れに任せることも大切だと思います。漫才ブームの時にね、周りのコンビはみんなそれぞれギャグを持ってて、「僕らもギャグ作らなあかんな」とか阪神君と相談してやったんですけども、全然できなくて。「これじゃあしゃあないな、しゃべりやっとくか」、でこうなったんですよね。結局大先輩とか周りから「やっぱり巨人阪神はしゃべりが一番やな」とか言われるようになっていって、周りはギャグが錆びていったり、辞めていったり解散していったりしたもんで、結局僕らが残ったいう感じなんです。だから、腐らんと、我慢して流れにまかすのも大事なのかなと思いますね。

Q:ビジネスの世界でも、苦手なことや弱点を克服しなければと考える人は少なくありませんが、焦る必要はないと?

結局、僕らがやってることは、知らず知らずのうちに王道やったんだと思います。サラリーマンの皆さんも、まずは王道で進んでいって、王道のことができるようになってから変化球を投げるとか、そういうことをやった方がいいのかなと思いますけどね。まずは、先輩の話を聞くこと。僕らの話を今、若手にやってもなかなか聞いてくれへんかったり、「昔はそうやったんでしょうね」というような顔で聞くんですけどね、僕らもそうだったんですよ。僕らも若手の時に大先輩から色々聞いて、「いや、それは昔の考えやな」と思ってたんですが、ある程度芸ができてくるとね、「あの師匠の言うてたことは、ほんまや」ってなってくるんですよね。ただ、分かった時にはちょっと遅かったりする若手もいてると思うんですよ。すごい人の言うことは、右から左に流すんじゃなしに、頭に置いといて常に考えたほうがいいと思いますね。
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PROFILE

◆オール巨人 1951年11月16日、大阪府生まれ。1975年に漫才コンビ「オール阪神・巨人」を結成しデビュー。師匠は岡八朗。「しゃべくり漫才」スタイルで、上方漫才大賞など多数の賞を受賞。19年には吉本の漫才コンビとしては、夢路いとし・喜味こいし(1995年)、宮川大助・花子(2017年)に続く3組目の紫綬褒章を受章した。

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