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Photo by Kondo Atsushi
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「『言葉は大事。夢は叶う。比べるのは昨日の自分』 そう言い続けてきた」
矢野燿大 #1
今回のアチーバーは昨シーズンまでプロ野球・阪神タイガースの監督を4シーズン務めた矢野燿大さんです。矢野さんは1990年のドラフト会議で、東北福祉大からドラフト2位で指名され、中日ドラゴンズに入団。捕手としてレギュラーに定着できない日々が続きましたが、97年の阪神へのトレードをきっかけに定位置を獲得。名将・野村克也監督との出会いも成長を後押しし、星野仙一監督が率いた03年には主力として18年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。2010年に現役を引退し、18年に阪神の一軍監督に就任。自主性を重視したチーム作りを進め、指揮を執った4シーズンすべてをAクラス(3位以内)で終えました。「マイナスな時こそチャンス」と語る逆境を乗り越えるメンタリティー、組織作りで重視したポイントとは―。全3回連載の1回目です。
Q:阪神の監督という重責を終えられて、現在はどのように過ごされているのですか?
やっぱり監督って、すごくやりがいがあったし、楽しいこともすごくあったんですけど、コロナ禍で色んな制限があったり、消耗する部分も結構あって、今はそうした部分を休みながら、蓄えていくというか、張りつめてた分、のんびり、ゆっくりといった感じですかね。Q:長く張り詰めてきた生活リズムが変わったことに違和感はないですか?
そこの矛盾はありますね。タイガースの試合を見るのも複雑な部分もありながら、やっぱり見るし、気持ちの中で矛盾してますよね。今までドキドキし過ぎていたのが、ドキドキがなくなるとちょっと物足りないなとか、そういった面はもちろんあります。Q:まずは「監督」という仕事について聞かせていただきます。ビジネスにおける「リーダー」の立場ですが、組織を作るときに何を意識し、どこから着手していったのでしょうか。
僕は、絶対優勝するし、勝つし、そこを思いっきり目指していく。でも一方で、そこだけになると、結果が出たらモチベーション上がるけど、結果が出なかったらモチベーションが下がるじゃないですか。結果だけに左右されるっていうのは良くないし、選手も見てくれるファンの人も、魅力が薄れていくんじゃないかなっていうのがあって、だから 「勝つ」ことを思いっきり目指すけど、「楽しむ」とか「諦めない」「挑戦する」とか、そっち側をもっと大事にしたいなと思ったんです。「こんな緊張する場面であんな盗塁した!」ってもし見てくれた子供が感じてくれたら「俺も頑張ろう」とか、仕事で落ち込んでストレス発散で甲子園に来てくれてたファンの人が「負けてる試合でもこいつらこんな姿勢見せてくれるんや」とか、「俺も今苦しいけどちょっと一歩前出てみようかな」とか、勝つこと以外のプラスアルファを僕らの野球から感じてもらいたいじゃないですか。その姿勢を自分たちが貫いた時に、自分たちも成長できますし、「勝つだけじゃもう俺は足りない」と思えたので、そっち側のことばかり伝えてました。夢と理想を語ることが、僕はリーダーには必要だし、大事にしていましたね。Q:熱狂的なファンが魅力の球団です。「勝利」の他に、あえてもう一つ軸を作ろうと思ったのは、監督を引き受けた時にチームに足りない部分があると感じたからですか?
そうですね。足りないっていうのと、自分の現役当時は逆で、 楽しんだらあかん、楽しむなんて甘いと思っていたんです。苦しむからこそ、頑張ってその対価としていい給料ももらえるというのが当たり前だったんですけど、ユニフォームを脱いで色んな人に学ばせてもらったり、この人素敵だなというリーダーを見させてもらった時に、逆に仕事を楽しんでいたり、挑戦していたり、失敗に落ち込むんじゃなくてそれを糧にして前に進む、逆に自分のエネルギーにしていたり、そんな人たちに会わせてもらった時に、「野球も仕事もみんな一緒なんじゃないのかな」と思えたんですよね。野球が上手いだけじゃなくて、そういう内面のことをしっかりやれた時に成長できるんだと感じたんです。Q:そうしたメンタリティーが、「強い」組織作りにもつながると?
そう思います。(2018年に)二軍監督をやらせてもらった時に、二軍って色んなやつがいるんですよ。怪我で、もう復帰できないんじゃないかと諦めかけているやつ、プロの世界に入って、実力的に「俺ってもうここが限界なんかな」って思ってるやつ、反対に「将来、甲子園で俺はこうなってやるんだ」ってキラキラしているやつもいます。僕はプロ野球でバーンアウトするやつを作りたくないし、実際そういうやつをいっぱい見てきました。ただ、プロ野球だけが人生じゃないし、ある意味で「人生ここだけじゃないやろ」っていうのは二軍監督の時にすごく言ってました。「ユニフォーム脱いでから社長になって、お金もいっぱい稼いで、輝く人生歩んだらええやん」って。だからこそ、諦めかけてるやつにも、「今のこの1日を諦めないことが大事やぞ」とか「社会に出て、急に今日から諦めずにやろうってすごく厳しいぞ」っていうのは伝えていましたね。Q:野球が人生のすべてではないと考えることが視野を広げ、根性論だけでなく、野球を「楽しむ」ことも認められるようになったということですね。
僕らプロ野球の世界っていうのは、1個でも年上なら「矢野さん」って言ってくれるんですよ。でも平均7年ぐらいの寿命なんで、高卒だったら25歳、大学卒業なら30前に社会に出た時にいきなり「矢野」って呼び捨てにされる。そんなしょうもないところから耐えないとだめなわけです。だからこそ、「今から諦めないことをみんなでやろう」につながるんですよ。野球ってどうしてもサインが出て動くとか、トップダウンの教えを僕らは受けてきたんですけど、それでは、本当に自分で感じて動ける自立型の人間って育たないなって。そこは、僕も教えてもらったり感じてたりもしていたので、二軍監督時代に本当に解放して、「何をやっても俺は咎めることないから、全員挑戦してこい」って言ってましたね。Q:矢野さんが二軍監督時代に掲げた「超積極的」「諦めない」「誰かを喜ばせる」という方針の下、チームは驚異的な勝率で、日本一に上り詰めました。
「全員初球打って27球でゲームセットになっていいから、お前全員初球打ちに行け」、「それがお前らが一軍に上がって1回のチャンスをつかむための、今ここでやることや」っていうスタンスを伝えていました。一軍に上がって1打席しかないチャンスで、初球見逃せないじゃないですか。それが、二軍のこの打席からってなれば、練習の初球から、練習の初球からだったら体の準備をするところからっていう風に、準備力も上がっていくんですよね。もちろん、「楽しむ」とか今までとは逆のことで、その分いっぱい叩かれましたけどね。Q:それでも、目の前に結果が出てしまうと、一喜一憂してしまいそうな気がします。選手とは具体的にどのように信頼関係を築いていったのですか?
僕の中のルールで、「結果で咎めない」っていうのは絶対なんですけど、例えば、盗塁してアウトになったとしたら、その後に「次、セーフになろうと思ったらどうなん」って感じで必ず聞くようにしていました。選手は選手なりに「試合前の練習でスタートが浮かないように準備しないとダメだと思った」とか、自分なりの答え持ってるんですよ。それを聞いてあげた上で、気づいたことは最後に僕が言うんですよ。そうやって、プラスアルファは一番最後に伝えるようにしたら、選手たちが勝手に感じ取って、勝手に盗塁や得点に繋がっていくことが、どんどん起きていったんですよ。もちろん二軍なので、勝つことよりも成長させることが一番ではあるんですが、結果的に日本一になって、盗塁もリーグ記録を作って、失敗の数も日本一だったんです。僕はそっち側が自慢なんですけどね。Q:選手の表情や雰囲気に、矢野さん自身も手応えを感じたと?
やっている中で「これ間違いないな」と思いましたね。 選手がイキイキして勝手に成長できて、この野球見たらファンわくわくするやろなって。セオリー通りってあんまり感動とかないと思うんですよね。ある意味、セオリーをぶち破っていくっていう。それがアウトになれば批判になるんですけど。僕は面白い、成長させる野球をしたかったので。それを二軍の時に経験させてもらったので、そこはもうぶれないというか、一軍監督のときも、勝つことはもちろんだけど、その前には挑戦することとか、自分らで成長していけるっていうところが間違いないと思ったし、自分自身はこれがいいと信じられたので、一軍監督の4年間はぶれることなくやりきれたっていう自信はありますね。Q:矢野さん自身は厳しい練習、厳しい言葉が当たり前の世界で野球を続けてきたと思うのですが、いつ頃から、自分の経験を押しつけずに、時代にアジャストする必要があると考えていたのですか?
最初にコーチになった時(2016年)には切り替えていたと思います。ユニホームを脱いだ時に、将来的に指導者になるなと思っていて、その時に「今の俺のままで何を教えらんやろう」「経験したことと自分が教えられたことだけで、何が伝えられるんやろう」っていうのがあって、色んな人に学ばせてもらいたくて、色んな本読んだり、色んなアンテナを立てていってましたね。僕の中のプロ野球で絶大な影響を受けた監督は、やっぱり星野さんと野村さんなんですよ。星野さんはあの情熱的な、男として憧れるような、自分がグイグイ引っ張っていって、チームの裏方さんやスタッフも大事にしながら、ファンのこともめちゃくちゃ考えて動いていくっていう姿勢にめっちゃ憧れて、野村さんは「上手いやつだけが勝つんじゃない」「頭を使えば上手いやつにも追いつけるし、勝てるんだ」っていうことを教えてもらった。僕の中の恩師というか、影響を受けた2人の方なんですけど、一方で星野さんだからああいう指導ができるし、星野さんの存在だからできる。僕は星野さんと一緒のことはできないし、やったとしても誰もついてこないと思うんですよ。時代もそうですし、その時にちょっと違和感は感じてる部分はあったんです。Q:自分自身をアップデートさせていく努力が必要だということですね。
そう思います。野村さんも同じです。考えて野球をするというところでは、めちゃくちゃ勉強させてもらいましたし、野村さんと出会ってなかったら3割なんて打てなかったし、42歳まで現役も出来なかった。ただ、これも野村さんぐらいすごいと野村さんのやり方ができるんですけど、僕のタイプってそんなんじゃないですよね。どっちかって言うと選手とフラットに横並びぐらいで行きたいし、それが僕らしいかなっていうのもありましたね。Q:自分の性格なども分析した上で、矢野さん流の監督像を作っていったと思うのですが、選手と目線を合わせることで意識したことはありますか?
たとえばミーティングも、かしこまった、ガチッとしたミーティング、「はい」って聞くような感じじゃなくて、僕的には「へぇ」とか「なるほどね」みたいなのが欲しいんですよ。だから、聞く耳を持ってもらうために、話の入り口は小ネタを持って行って、「カーネルサンダースって、全然仕事が上手くいかなくて失敗ばっかりだったらしい」みたいなところから入るんです。「60歳超えて、あのフライドチキンのあの作り方を初めて売りに行って、1009件かなんか訪問したけど全部断られたらしい。1日1個行ったとしても3年ぐらい諦めんへんかったんちゃうか」とかね。そういうのは星野さんとか野村さんの影響受けながらも、もしかしたら自分らしさというか、こうやることが選手たちの可能性を広げられるんじゃないかなと思って作っていったのかもしれないですね。Q:一軍を率いた4年間は、優勝こそ果たせませんでしたが、全てAクラス(3位、2位、2位、3位)という結果でした。少し時間がたって、この結果をどのように捉えていますか?
やっぱり、日本一になってないっていうのは自分も悔しかったし、それを全力で目指してきたんで、4年連続Aクラスって言ってもらえて、できた部分ももちろんあるんですけど、それは唯一悔いが残るところですね。会社とかだと2位でも売り上げがボーンって2番目に上がってたら評価されると思うんですけど、スポーツの厳しいところで、そこはないですからね。ただ、これは自分よがりですけど、去年の開幕前に(シーズン後に)「辞める」って言ってスタートして、開幕9連敗でボロボロになったけど、あそこから最後3位に入ってくれたっていうのがね。自分の勝手な解釈なんですけど、「諦めない姿、一塁までの全力疾走で俺らは子供たちに示していこう」とか「勝っても負けてもグラウンドに出て挨拶して、子供たちの見本になれるような姿を見せていこう」とか、そっち側を伝えていくことで、プロとしての姿勢とかあり方、内面の部分っていうのは、みんな本当によくやってくれたなっていうのが僕の中にはあるんです。だから強いチームは作れなかったかもしれないですけど、いいチームは作れたなっていう解釈は自分の中にはありますね。Q:シーズン開幕前の監督退任発表には否定的な声も少なくありませんでした。あらためて、どのような決断だったのでしょうか。
嘘をつきたくなかったんですよね。「監督やってください」って言ってもらえた時に「やらしてもらいます。でもラスト1年で、僕は一旦ユニフォーム脱がさせてください」「その代わり日本一になるために全力で監督としてやり切ります」っていうのを球団に伝えてたんで。それが途中で漏れた方が裏切りだなと思ったんですよ。もう決めてることだったら、やっぱり正直に選手たちに伝えることが嘘がないなと思ったんです。Q:難しい決断だったと思います。迷いはなかったのですか?
伝えるってことに関して、すごく迷ったし悩んだし、自分の中で考えました。でも、僕としては、この1年を全力でやり切るため、自分自身の限界突破のためにも、「俺はこの1年しかできないんだ」「今日は帰ってこないんだな」って思える1日を過ごしたいし、選手と接する時も「これ伝えようかな、どうしようかな」と悩むより、「来年はやってないから、今伝えよう」っていう、そういうものに自分が繋がると思ったんです。伝えた時も、選手達に動揺なんかないし、僕は良いように捉えているからかもしれないですけど、「なんか矢野らしいな」と思ってくれてるような感じに思えたんで。結果的には、開幕(9連敗で)ボロボロになって、すごく叩かれたんで、これは僕自身が蒔いた種なんで仕方がないんですけど、やっぱり期限があるからこそ頑張り切れるというかね。だからこそ、最後の年の3位っていうのは、僕の中の価値としてはすごくあるんですよね。Q:言葉にして直接伝えることの意味、矢野さんの選手への思いをすごく感じます。
言葉はすごく大事にしてきましたね。二軍の時から「言葉は大事、夢は叶う、比べるのは昨日の自分」っていうこの3つの合言葉を選手たちにずっと言ってたんです。バッティング練習中に調子下がってたりしてる選手に「比べるの何やったっけ」「昨日の自分っす」「そうやな」「昨日の自分を超える、練習するぞ」とか、そんなふうに言ってて、だから「語尾も大事らしいで」って。「なれたらいいなではなれてない自分しか想像でけへんけど、やります、3割打ちます、優勝しますってなったら出来た自分が想像できるやろ」って。「そうなった時に、言葉から俺ら気持ちも変えられるし、未来も変えられるんちゃうか」って、だから選手たちの語尾が「今年は優勝します」とか「勝ちます」とか「3割打ちます」って、「打てたらいいな」っていう選手がめちゃくちゃ減ったっていうのは、僕もすごく実感してますね。矢野さんの「THE WORDWAY」。次回♯2は、矢野さんが現役時代について語ります。「心が折れそうになった時は、とにかく動いてみる」―。試合に出られない状況から球界を代表する捕手に成長するために意識したものとは何なのか。現状から一歩を踏み出すための「言葉」があります。
THE WORDWAYでは、読者から、アチーバーの記事を読んだ感想を募集しています。記事を読んだ感想、「昨日の自分を超える」トリガーになったこと、アチーバーの方々に届けたい思いなど、お送りください。いただいたメッセージは、編集部から、アチーバーご本人に届けさせていただきます! アチーバーに声を届けるPROFILE
- ◆矢野燿大(やの・あきひろ)1968年(昭43)12月6日大阪府生まれ。桜宮高校から東北福祉大を経て90年ドラフト2位で中日入団。97年オフにトレードで阪神に移籍。捕手として03、05、06年ベストナイン。03、05年ゴールデングラブ賞獲得。08年北京五輪出場。10年に引退。プロ20年で通算1347安打、112本塁打、570打点。引退後は2013年に日本代表のバッテリーコーチに就任。16年から阪神のコーチを務め、19年から22年シーズンまで一軍監督を務めた。
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