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Photo by Kondo Atsushi
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「一番だめなのは、失敗をそのままにすること。失敗したことから逃げてしまうこと」
潮田玲子 #1
今回のアチーバーは、バドミントン元日本代表の潮田玲子さんです。潮田さんは2008年の北京オリンピック女子ダブルスに小椋久美子さんとのペアで出場し、ベスト8に進出。コンビ解散後はミックスダブルスに挑戦し、2012年ロンドン五輪にも出場を果たしました。07年世界選手権では「オグシオペア」で銅メダルを獲得するなど業界をけん引。バドミントンを人気競技へと押し上げました。2012年の現役引退後は、スポーツコメンテーターとして活躍する一方、絵本のプロデュースや女性アスリートをサポートする一般社団法人Woman's waysを設立するなど、新たなフィールドでも挑戦を続けています。引退から10年。重圧と戦い続けた現役時代を振り返りながら、壁を越えていく原動力を語りました。今回は全3回連載の1回目です。
Q:引退から10年がたちましたが、絵本のプロデュースや、女性アスリートを支援するWoman’s waysを立ち上げるなど、「セカンドキャリア」でも常に挑戦し続けているように感じます。
そうですね。Woman’s waysや講演、セミナー以外にも、子供達のバドミントン教室だったり、本当にいろんなことをやらせてもらっているので、これがメインというのは言いにくいところではあるんですが、いろんなことに取り組んでいる中で、結局自分の競技生活や経験に基づいて、ようやく全部が一本につながってきたなと実感しています。Q:「ようやく」というのは、引退直後は悩みもあったのですか?
アスリートは成果として完全に答えが出ます。試合に勝つか、負けるかというシンプルな中で、負けたらまた練習して、それに対して目標に向かって努力して、またそこで答え合わせをする。それを幼少期から繰り返していたので、セカンドキャリアに移った時に、どういうふうに自分が努力すればいいかが分からなかったですし、一番得意とする世界を離れて、どうやって生きていけばいいんだろうという不安はありましたね。Q:引退直後からメディアを中心に活躍されていましたが、葛藤があったと?
引退して芸能のお仕事を始めて、まずはがむしゃらに「来る仕事に対して何でも挑戦してみよう」という気持ちでやっていたんですが、1年、2年と経った時に「これって目に見えて積み重なっているのかな」と思うようになったんです。なかなか答えが出せない中で、結婚もして子育てもしつつ、初めての仕事もたくさんあって、家庭もあってっていう状態で、両立という意味での悩みもありましたね。Q:どのように、その悩みを抜け出したのですか?
子供も少し手が離れるようになってきて、自分の社会貢献というのも1つ、何かやりたいなという気持ちがずっとあって、そこがようやく見つかった感じですね。私生活と、仕事と、やりたいこととがようやく一本に繋がったっていうイメージですね。Q:がむしゃらに走り続けた10年の中で、目指すべき道が見えてきたのですね。
そうですね。全てが競技を通じて、一本の軸としてはぶれてないのかなっていうのをすごく感じられるようになってきたので、それは自分にとってはすごくプラスだなと思っています。それまでは「何がやりたいんだろう」とか、「何が向いてるんだろう」って考えることが多かったんですけど、今はそういう考えより「全部が繋がってるんだ」っていうのを実感しながらやってますね。Q:悩みの先に見つけた1つの答えが、昨年設立した「Woman’s ways」だったと思うのですが、後輩の女性アスリートの支援という活動にはどのような思いが込められているのですか?
昨年、団体の副代表を務めている飛び込みの元日本代表の中川真依さんと「女性アスリートの月経とコンディションについて」という内容で対談をする機会があったんです。そこで、「今のアスリートにとって何が必要か」という問いに対して、「正しい知識を深めることで、我慢一択ではなくいろんな選択肢が生まれる」という意見を出したのですが、自宅に帰った後もずっとモヤモヤした気持ちが続いていて。問題定義することは簡単だけど、実際そういったことを学ぶ場ってあるのかなと考えると、私たちが現役の頃と、そこに対しての考え方は全く進歩してないなと感じたんです。社会貢献というのは自分の中のテーマの1つとしてもあったので、だったら「これが自分ができることかもしれないな」という思いで立ち上げました。Q:アスリートはいつか必ずキャリアの終わりがきます。現役時代から「引退後」の具体的なイメージは持っていたのですか?
2008年の北京オリンピックが終わった時に、初めて引退というのを考えました。当時は、「オグシオブーム」として、世間に取り上げてもらう機会も多かったですし、引退してテレビの仕事を始めれば、1年ぐらいはもしかして仕事があるかもしれないなと思ったんですが、一過性のブームで終わってしまって、何の実績もなかったら意味がないなと。その時に「今じゃない」とすごく感じましたし、競技に対しても「もうちょっと頑張りたい」という気持ちもありましたので、「まだやるべきことがあるんじゃないか」と、その時は現役を続けることを決めました。Q:メダルが期待された北京五輪はベスト8に終わり、長くペアを組んだ小椋さんとのペアも解散となりました。北京オリンピックの結果というのは、潮田さんのキャリアにどのような影響を与えましたか?
北京が終わって、パートナーと「4年後、一緒に目標を見据えて頑張れるかどうか」みたいな話はあったんですけど、自分の気持ちも4年後に向けて、「もう1回、1から頑張ろう」という気持ちにはなってなかったですし、パートナーも「違う選択をしたい」というところもあったので、急に「あ、解散が決まった」となって、これからどうしようという感じでしたね。もし、そこで自分たちの目標のメダルが取れて、「オリンピック楽しかった」と思えていたら、また違った捉え方ができたのかもしれませんが、やっぱり一番目標としてる場所で、自分の中では失敗として終わったので、いろんな迷いが生まれたのかなと思います。Q:スポーツ以外の世界でも、失敗や挫折からいかに這い上がれるかが重要だと思います。北京オリンピックで味わった喪失感から再び歩み出すまで、何かきっかけはあったのですか?
女子ダブルスのラストマッチとして、最後に全日本総合選手権っていう大会に、北京オリンピックの3カ月後に出たんですけど、そこで結果的に5連覇目を達成することができたんです。私達の中では良い準備ができていなかったんですけど、ただその中で、最後の最後に本当に最高のパフォーマンスができたことで、「まだ選手として自分でもやれることがあるのかもしれない」という道筋が見つかったと言うか。そこで負けてしまっていたら、多分引退を選択していたと思うんですが、そのラストマッチでいいパフォーマンスができて、繋ぎ止めてもらえたというのはあるかもしれないです。Q:バドミントンの面白さを再認識する、劇的な勝利だったと?
劇的でした。よく講演とかでも話すんですけど、その時に最初で最後のゾーンを体験したんですよ。最後数本の中で、相手がスローモーションに見えたり、そこに空間ができたように見えたり。そういった体験をしたことで、「もう1回これを味わいたい」っていう気持ちが生まれたんです。北京オリンピックで終わっていたら、「こんなに努力しても叶わない夢ってあるんだ」みたいな感じで、打ち砕かれてたと思うんですけど、全日本総合選手権でもう一度自分が輝くことができて、「じゃあもう1回頑張ってみようかな」みたいに思うことができたので、そういった意味でも、本当に劇的な試合でしたね。Q:あらためて振り返って、なぜ「オグシオ」としてのラストマッチというタイミングで、最高のパフォーマンスができたと思いますか?
これが正解かどうかは分からないですけど、気持ちの部分で当時は本当に背負いすぎていたんです。オグシオとして注目もされていましたし、「国民の皆さんのために」みたいな、それぐらい2人で背負っていたんですよね。その恐怖心を北京オリンピックの時は拭えなかったんですよ。「失敗したらどうしよう、メダル取らなかったどうしよう」とか、「どういう反応が返ってくるんだろう」みたいな、そういう恐怖心っていうのがどうしても拭えなくて。Q:今年、小椋さんと対談したと聞きました。
14年ぶりに小椋さんと話ができたんですけど、本当に振り返りたくない過去みたいな感じで、北京オリンピックの話って一度もしたことがなかったんです。でも14年ぶりに、当時を振り返って、「なんであのとき自分たちを信じてあげられなかったんだろうね」みたいな、「本当に背負いすぎてたよね」って。「あれだけ努力したからこそ、もっと信じてコートに立てばよかったよね」と、話ができたんです。北京後の全日本総合選手権の時は、高校の時から組んでいたので、7、8年の歩みとして本当にラストの試合だったので、初めて「負けてもいいから、自分たちらしい試合しようね」と話してコートに入ったんです。それで最高のパフォーマンスができたので、そういう意味でもメンタルの違いっていうのは大きいんだなと思いましたね。Q:そこから、混合ダブルスで4年後のロンドン五輪を目指されました。現役を続けるという決断をした後、「キャリア」に対する考え方に変化はありましたか?
ロンドンオリンピックに向けての4年間を、セカンドキャリアを意識した4年にしようというのが、自分の中にはありました。自分の気持ちの整理みたいなのがすごく重要だなと思っていましたし、競技に対して完全に向き合って、やりきれる4年間にしようと。それでロンドンオリンピックが終わって、次の月のジャパンオープンで引退したんですけど、その時は本当に迷いなく、次のステージっていうふうに思うことができたので、自分の中での気持ちの準備ですよね。とにかく競技生活に悔いがないようにっていうところで頑張れたのは大きかったのかなと思います。Q:世界のトップで戦ったダブルスから混合ダブルスへの転向です。迷いはなかったのですか?
ダブルスは世界選手権でメダルを取ったり、世界ランキングも一桁台に乗っていたので、違うパートナーとダブルスを組むという選択肢もあったと思うんですが、混合ダブルスは、当時は日本が一番力を入れてない種目だったんです。オリンピック種目として5種目あるのに、日本は4種目しかターゲットにしてなくて、強化もしてなかった。ただ、自分が世界を回っているうちに混合ダブルスを見ることがすごく楽しかったので、「こんなに面白いのになんで挑戦する人がいないんだろう」と考えていたんですよ。北京オリンピックが終わった時に、女子ダブルスで違うパートナーと4年後を目指すよりも、戦術も役割もゼロから始めることなので、難しいだろうなとは思ったんですけど、混合ダブルスの方がワクワクする気持ちが強かったので、その選択をしました。Q:未知の世界を開拓するワクワク感が、再スタートの原動力でもあったと?
そうですね。日本の中で、混合ダブルス専門の選手っていうのがそもそもいなかったですし、当時は、混合ダブルスのコーチもいなかったんです。環境もない状態で、すごく肩身の狭い思いをしたんですけど、でも「ここで自分たちが失敗してしまったら、もう日本のバドミントン界は混合ダブルスに力を入れることないな」って思ったんです。だからこそ失敗はできないとも思っていましたし、それは1つモチベーションとしてありました。でもそれ以上に、自分が選んだっていう、挑戦するワクワク感みたいなところと、切り開く面白さを感じたんですよね。Q:潮田さんたちが切り開いた道を後輩が歩み、東京五輪での渡辺・東野ペアの銅メダルにつながりました。先駆者として、喜びも大きかったのではないですか?
渡辺・東野とか専門の選手が出てきて、ミックスダブルスでもオリンピックでメダルが取れるんだっていうのを体現してくれる後輩達がいっぱい出てきて、子供たちの夢が1つ増えたと思うんです。本当にやって良かったなっていう実感に変わりましたね。どうしても女子ダブルスがフューチャーされがちなんですけど、自分にとっては北京オリンピック後の4年間っていうのはすごい大切な4年と言いますか、経験として本当によかったと思っています。Q:社会現象にもなった「オグシオ」時代の重圧がなくなり、競技への向き合い方も違っていたのですか?
ダブルスの時は、18歳ぐらいから注目され始めて、世界に目が向いてて、本当に夢に向かって突き進むみたいなそういうイメージだったんですけど、北京オリンピックの後からの4年っていうのはまたちょっと違ったところがありましたね。年齢を重ねることによって、夢に向かって頑張って努力できる時期と、ちょっと客観視してみる時期って絶対あると思うんですよ。そういう意味では、捉え方は違ったかもしれないです。Q:視野が広がったからこそ、自分自身の喜びややりがいを大切にできたということですか?
そう思います。だから、「この4年は自分のセカンドキャリアのために繋がるような4年にして、私は私のために頑張ろう」みたいに気持ちが変化していったんだと思います。それまでは本当に「みんなのために」とか、「バトミントン界のために」とか、「会社のために」とか「応援してくださる皆さんのために」みたいな気持ちがすごい強かったので、勝ってホッとするみたいな、「あー負けなくて良かった」っていう心境が大きかったんですけど。そこの気持ちが一番大きく違うかもしれないですね。Q:ビジネスの世界でも、プレッシャーを感じるあまりチャレンジができないというケースは少なくなくありません。重圧との向き合い方について、潮田さん流のアドバイスはありますか?
これが正しいかは分からないですが、1つは、成功するか失敗するかは、やってみないとわからないじゃないですか。もちろん失敗したくないし、これは絶対に成功させなきゃいけないっていう気持ちはあるんですけど、私が大事にしているのは「万が一失敗したとしても、そこからまたそれをプラスに変えればいいじゃん」ってことですね。一番やっちゃいけないのは、失敗をそのままにしてしまうことだと思うんですよ。失敗して、それで逃げてしまうみたいな。自分が次のステージに進むのは恐怖でしかないですし、なかなか踏み出せないと思うんですけど、いつも思うのは、そうやって北京オリンピックで一番大きな挫折を感じたし、あの時はコートに立つことさえも怖かったんですけど、そこから逃げずにコートに立ったことによって、最後の最後にいいパフォーマンスができましたし、またその次の4年に繋げることができたので。やっぱり失敗をした事をそのままにしないっていうのは大事かもしれないですね。万が一失敗しても、またそれを時間がかかっても取り戻すように努力するっていうことの繰り返しなのかなと思いますね。Q:結果よりも、そこからの行動の方が大事だということですね。
もちろん、プレッシャーに打ち勝つにはそれだけの準備をしなきゃいけないと思うんですよ。何の準備もしてなくて「失敗したらどうしよう」って、そりゃ失敗するよねっていうのもあると思うので、もちろん万全の準備をして、いろんなリスク管理もして、だけどそれでも失敗する事ってあると思うんですよね。だから、そこまでの過程プラス終わった後も、またそこを前向きに捉えられるように訓練する、そういうメンタルっていうのは大事なのかなと思いますね。潮田さんの「THE WORDWAY」。次回♯2は、活動の幅を広げる潮田さんが「挑戦」するために必要な要素を語ります。現役時代に感じていた重圧の正体とは何だったのか。引退から10年たった今だから分かる自然体で生きる極意とは―。スポーツ以外の世界でも生かせる、新たな一歩を踏み出すための「言葉」があります。
THE WORDWAYでは、読者から、アチーバーの記事を読んだ感想を募集しています。記事を読んだ感想、「昨日の自分を超える」トリガーになったこと、アチーバーの方々に届けたい思いなど、お送りください。いただいたメッセージは、編集部から、アチーバーご本人に届けさせていただきます! アチーバーに声を届けるPROFILE
- ◆潮田玲子(しおた・れいこ) 1983年9月30日、福岡県出身。ジュニア時代から活躍し、02年~08年まで、小椋久美子との「オグシオペア」を組み、全日本総合選手権大会を5連覇。07年の世界選手権で銅メダルを獲得するなど、実力派ペアとして人気を誇る。08年の北京五輪後にペアを解散し、09年に池田信太郎と混合ダブルスのペアを結成。2012年のロンドン五輪後に引退を発表し、同年9月にサッカー選手増嶋竜也と結婚。引退後はスポーツキャスターなど幅広く活躍中。
HOW TO
THE WORDWAYは、アチーバーの声を、文字と音声で届ける新しいスタイルのマガジンです。インタビュー記事の中にある「(スピーカーマーク)」をクリック/タップすることで、アチーバーが自身の声で紡いだ言葉を聞くことができます。 CATEGORY
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