Photo by Kondo Atsushi

「何でもやればいい。過去に戻しても、結局新しいものはできない」

永田裕志 #2

今回のアチーバーは、今年デビュー30周年を迎え、今も現役を走り続ける新日本プロレスの永田裕志さんです。永田さんは、レスリングのアマチュア選手として活躍し、24歳でプロレスの世界に飛び込みました。デビュー9年目の33歳の時に団体最高峰のベルトIWGPヘビー級王座を獲得し、それまでの最多防衛記録を更新する10度の防衛に成功。その後も、総合格闘技人気に押された時代の中心選手として業界を支え、54歳の現在も闘志むき出しのファイトでファンの支持を得ています。浮き沈みのキャリアで培った「成功」を引き寄せる自己プロデュース力、逆境に立ち向かう時に必要な思考とは―。永田さんの「WORD」から、次のアクションを起こすヒントを見つけてください。今回は全3回連載の2回目です。

Q:スポーツの世界に限らずですが、自分の置かれたポジションに不満を感じていたり、予期せぬことで苦しいポジションに追いやられるケースは少なくありません。永田さんは、00年代初頭に総合格闘技の試合で敗れ、痛烈な批判も受けました(01年のミルコ・クロコップ戦で1回TKO負け、03年のエメリヤーエンコ・ヒョードル戦で1回TKO負け)。その苦境をどのように消化し、乗り越えてきたのですか?

ベルトを獲る前の年の2001年は何でも挑戦だったんですよ。その時に総合格闘技の波が結構来ていて、どうしても世の中は「永田を出そう」という動きがあって、それに乗りました。今考えたら本当に無謀だったなと思います。でも自分が挑戦すること、何かしようってものに歯止めが利かなかったんです。1回目(01年)に総合格闘技で負けた時は、会社のみんなも永田のそういうチャレンジ精神を見て後押ししてくれたんですよ。でも、2回目の時(03年)は、断ることが許されない中で無理矢理出場して、そんな状態ですから。相手も強いですし勝てないですよね。そうなった時に、会社の中で風向きが変わりましたね。「永田をみんなで担ごう」という空気は、残念ながら無くなりました。

Q:02年のIWGPチャンピオンとして君臨していた時から、わずか1年で強烈な逆風が自身を襲ったと?

批判はすごかったです、当時SNSがあったら大変でしたよ。あの試合で、自分自身が考える永田裕志の価値観と世の中が見る永田裕志の価値観が変わっていきましたね。

Q:担がれる形で出場した総合格闘技の試合で戦犯扱いされたわけです。「はしごを外された」状況のようにも思うのですが、どのように次のステップに切り替えていったのですか?

もちろん悔しさはありましたよ。今になってみると、会社の期待が無くなった中で、若い選手を推していこうという動きがあったのは分かるんです。でも当時は、「力じゃ負けないぜ」っていうのはまだまだあったので、2005年くらいから、若い棚橋とか中邑とかとガンガン戦うようになっていきました。あの頃から自分のかみ殺してきた腹の底の思いを、彼らの身体に正面からぶつけましたね。プロレスは腹の底から怒りとか何かを出さないとダメだし、世間には伝わらないんですが、そういう怒りとか腹の底の悔しさ、感情を初めて身体ごとぶつけられたんです。試合の中で自分を吐き出したり、発散するものを見つけて、若い選手や、その日の対戦相手に対していろんな目標とか目的を定めてね。よくやったなと思いますね。今考えますと。

Q:そうやって真っ向からぶつかり合った棚橋選手や中邑選手が、永田さん頭の上を超えていくようにスターダムにのし上がりました。団体の低迷期を永田さんのような存在が支えたから、現在の新日本プロレスの隆盛につながっているというファンも少なくありません。

格闘技界に正面から挑んで、全部自分が負のものを受け止めたなと。だから考えてみたら、あとにいる若い世代ってそういうものを全部僕が受け止めているから、彼らにかかる必要がなかったですよね。「俺は結局弾除けで終わっていくのかな」と思ったりもしました。でも、当時はまだ若かったから「いや、そんなことは絶対考えない」「俺は絶対負けない」と図々しいぐらいに思ってましたね。今考えると、棚橋も中邑も僕たちから逃げなかったし、正面から来てくれたんですよ。どんなに蹴とばされてぶん殴られても、立ち上がってガーッと向かってきてくれた。それによって僕自身も、生きてる証を、戦いながら感じられたっていうのはすごくありますね。

Q:ビジネスの世界でも挫折したり、現状に不満を感じている人はいます。苦しい時期、永田さんも他の団体に移籍するなどの選択肢もあったように思います。苦境から逃げずに、アプローチを変えて再び戦っていくためには何が必要でしょうか?

自分を信じることですかね。自分の実力とかそういうものを信じるしかないですよね。「俺はまだ負けない」「まだ行ける」ってね。やっぱりその時の流れによって、自分を殺さないといけないときもあるし、自分を存分に出せるときもあるんですよ。正直辞めようと思ったこと何度もありますよ。でもその都度、ここで辞めたら負けになると思って。新日本プロレスも長い歴史がある中で、会社の不平不満とか自分の立ち位置を憂いて、出ていく先輩がたくさんいたんですよ。でもほとんど戻ってきますよ。辞めるときは散々会社の悪口を言って辞めていくけど、なんだかんだ上手くいかなくて戻ってくる。そういうのを、僕はすごくダサく感じたんですよ。だから絶対そういう生き方だけはしないと思いましたね。その一念で30年やってきましたね。

Q:レスラーとしての揺るぎない信念を持っている一方で、会場が一気に沸く試合中の「白目」や、おなじみの敬礼ポーズ、「ゼアッ」の決め台詞などでもファンの心をつかんできました。「強い永田」以外の自分を作り出していくことを、どのように考えてきたのですか?

白目をやってコミカル路線って皆さん軽く言いますけど、そんな簡単なもんじゃないんですよ。ああやって皆さん笑ってるっていうか、盛り上がってくれている中に、本当に自分の中での怒りとか悔しさとか、そういう感情が織り交ざって出たものなんですよ。それを周りがどう反応するか。でも、どう反応したところで、結局僕の手のひらに乗ってるんですよ。本当に悔しくてつらくて、情けない思いをしてきた。それをぶつけるしかない中で、自分の中の情念から生まれたのがあれなんです。なかなか分かりづらいところでしょうけど、周りに何を言われても僕は何とも思わない。これが僕の生きてきた一つの証ですから。

Q:信念を曲げるのではなく、表現を変えることで可能性を広げることが大事だと?

そうです。何でもやればいいんですよ、だから。僕はずっとそういうものと戦ってきたのかもしれないですね。チャンピオンだった頃、「こんなの新日本プロレスらしくない」とか、「昭和の新日本プロレスみたいな戦いがいい」とか、そういう声が一部で出たんですよ。それに対して、会社が右に習えみたいな流れにしようとしたときもありました。過去の先輩方が出てきたりね。でも、過去に戻しても、結局新しいものはできないなっていうのは、結果そういうものを経験した上での僕の結論ですね。現在の新日本の木谷オーナーが上手いこと言ったんです。「すべてのジャンルはマニアが潰す」ってね。本当にその通りだと思います。

Q:30年間の歩みを振り返って、いろいろな経験を重ねた「今」だから消化できる過去があるということですね。

今ある意味、胸を張って言えるのは、総合格闘技に顔を出して惨敗したこともですよね。やはり、餅は餅屋ですから。それは僕もレスリングで日本一になって、プロレス界に入った時によくわかりました。寝技では、勝てなかったですけど、ことレスリングにかけては誰にも負けなかったですから。でも当時は、ファンの人たちも無知でしたよね。知識がない中で、僕が出てあっさり負けたことで、プロレスファンが減ったと…。でも、僕はそれでよかったと思うんですよ。そういう古い価値観をどんどん壊して、新しいものを作っていかなければ発展はないと思うんです。だから総合格闘技を「異種格闘技戦」って自分の土壌に乗せるんじゃなく、何でもそういう幻想だけで生きてきたプロレス界から、脱皮する時期だったのかもしれない。そういう意味では、僕は大きな犠牲を払って、世の中の考えとか変えたと思いますよ。これだけは最近よく思いますね。

永田さんの「THE WORDWAY」。次回♯3は、永田さんが子育て論、勝利(成功)をたぐり寄せるために実践している考え方を語ります。カッコいい大人の生き方につながる永田流の「言葉」があります。

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PROFILE

◆永田裕志(ながた・ゆうじ) 1968年(昭43)4月24日、千葉県東金市生まれ。
千葉県立成東高等でレスリングを始め、日体大に進学。1992年に新日本プロレスに入門し、同年9月にデビュー。02年4月、第31代IWGPヘビー級王座を獲得し、当時歴代最多連続防衛記録となる10回の防衛を果たした。ノアのGHCヘビー級王座を獲得するなど他団体でも活躍。団体最年長選手となった現在も、果敢にベルトに挑戦している。得意技は、バックドロップ・ホールドなど。183センチ、108キロ。血液型AB。弟の克彦は、00年シドニーオリンピックのレスリング銀メダリスト。

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