Photo by Kondo Atsushi

「『守破離』―最後はどれだけオリジナリティ、自分の武器を持てるか」

井上 康生 #4

今回登場のアチーバーは、前柔道男子日本代表監督の井上康生さんです。現役時代は一本を狙う攻撃的なスタイルで、00年のシドニー五輪で金メダルを獲得。金メダルなしに終わったロンドン五輪後に男子日本代表監督に就任すると、16年リオ五輪では52年ぶりに全階級でメダルを獲得、東京五輪では5階級で金メダルを獲得するなど、日本柔道を復活に導きました。伝統や常識にとらわれず、多くの改革を断行されてきた井上さんが、勝負師として大切にしていること、勝てる組織に必要な要素とは。今回は全4回連載の第4回目をお送りします。

Q:目標を達成した時、いかに次の目標を掲げ、再スタートを切るかも成長を継続していく上では重要なテーマだと思います。井上さんは「五輪で金メダル」という目標を達成した後、どのように次の一歩を踏み出したのですか?

自分自身でも満足してしまったらそれまでになってしまうので、自分自身の人生の哲学じゃないですけど、常に意識している事は、たかが1つ1つの出来事は、「道」においては半ばであったり、1つの要素にすぎないと。それを経たうえで、次なるステージでそれを活かした上で、どのようにしてより輝けていけるかという目線を忘れずにやっていきたいなと思いました。

Q:大学4年生での金メダルです。満足感に浸ったり、甘えが出たりすることはなかったですか?

周りの環境が相当変わったことに、もちろん戸惑いはありました。金メダルを取った瞬間に周りが一気に変わりますからね。大学4年生でそれをコントロールする力はなかったですし、鼻が天狗になるぐらい伸びて勘違いしていた時もあったと思います。でも、その時にありがたかったのは、自分の恩師(東海大時代の師範・佐藤宣践氏)から「お前の人生は、ここからなんだよ」と言われたことでした。次のステージで、どのように金メダリストとして生きていくか、それが現役生活においても、引退後も大事だということを説いてくださったので。その時は有頂天で、話半分しか分からなかったと思いますが、良き恩師に出会えて、幸せな人間だと感じています。

Q:スポーツだけでなく、尊敬する人の言葉が自らの行動を変えたり、局面を打開するヒントになるケースは少なくないと思います。井上さんが佐藤先生からの教えの中で印象深いものはありますか?

佐藤先生は、(84年ロサンゼルス五輪無差別級金メダリストの)山下泰裕先生を育てた方なのですが、その方から、私は人間学だとか帝王学だとか、そういうものをとても分かりやすく教えて頂きました。その1つの題材が「山下泰裕」だったんです。僕も山下先生と同じ東海大学でもあるので、「山下はこうだったんだよ」という話がすごくイメージしやすかったです。ただ、間違ってはいけないと強く意識していたのが、自分は「山下泰裕」ではないということです。山下先生への憧れは強かったですが、山下先生と私とは、良い意味で違う人間で、柔道スタイルも、考え方も違う。佐藤先生からも「お前はお前なんだ」と言われていましたし、そこに気づけたことが、自分の形を作るきっかけになったと思っています。

Q:偉大な人に憧れ、真似をするだけではだめだと?

その先生からも「守破離って知ってるか?」ということをよく言われていたんですけど、まさしくそうで、最後は、どれだけ自分のオリジナリティを持つことが大事か、自分の武器を持つことが大事か。これは、本当に全ての仕事にも通ずるものじゃないかなと思うんですけど、でも最初の段階においては(教えを守る)「守」があっていいし、「破」があっていいし、最終的には「離」にたどり着く。この工程ってすごく大事なものだなと私の中では感じました。

Q:その考えは、井上さんの攻撃的なスタイルにもつながっているということですか?

最終的には真似事だけでは、そこまでしかたどり着かないですし、その域を超えるためには、やっぱりオリジナリティをどう築き上げていくかっていうところ。ここが、道を築いていったり、何か大きな壁をクリアしていくために必要な要素じゃないかなと思っています。スポーツの世界なんかでも、指導者からいろんなアドバイスをもらう。これは素直に受け止めていったり、そこには大きなヒントがあるので、力に変えていくことが必要です。でも、最終的に戦うのは自分ですから。そういうものを乗り越えていく考え方、能力、いわば自立性とか主体性っていうものを持つことはすごく大事なんじゃないかなと思います。これは指導者もそうだし、例えば家族というところにおいても、最終的には親から離れて、自分自身で生きていかなきゃいけないという時は必ずあると思いますし。仕事でもそうだと思います。自立(律)というのは、「律する」と「立つ」の両方が言えると思いますし、主体的に持つことがないと動き出すことはできないかなと。この部分は、すごく重要な要素だと感じています。

Q:オリジナリティや自分の武器を見つけるためには何が必要でしょうか?

やっぱり考えることだと思います。ただ漠然とやってる人間だと、例えば指導者からの意見ということにおいても「はい。分かりました」「いいえ、分かりません」だけだったら、その能力は身につかないと思うんです。ですので、常に、何か言われた時に「あぁそうなのか、じゃあ次はどうすべきか」とか、「その意味って何なのか」というものを考える力がないと切り開いていけるものじゃないし、その能力は身につけていけれるものじゃないかなと思います。

Q:日頃からの意識で考える力を養っていくと。

ただし、これには過程もあると思うので、私は時期や状況によっては、トップダウン式に上からの目線で物事を進めることも重要だと感じています。自分で考えさせる環境も必要ですが、指導という面では「形作り」も必要だと思っています。小学校のときに、全てを理解したうえで行動に移せるかといえば、そうではない。いろんな経験を積んで、いろんな知識が身について、その中で徐々にいろんな選択を自らできるようになっていくと思いますから。ですから、人材を育成していく中では、私は両方とも必要だと思いますね。

Q:経験という意味では、井上さんの場合は、引退後の英国への留学が、視野を広げ、考え方を変える大きなきっかけになったと聞きました。

留学は、監督としても、次の人生に歩むことにおいても分岐点だったと思います。留学先で、自分って何も知らないんだな、自分って無力なんだな、と強烈に感じました。オリンピックチャンピオンという肩書のおかげで、日本にいたらみなさん良くしてくれますが、海外に行ったら、語学もあまりできなくて、宗教についても、政治についてもほとんど話せることがなくて。そういう環境で、あたふたしてる自分がいたりして、自分は実は何の力もない人間だなってすごく感じたんです。でも、それは決してネガティブな要素だけではなくて、私は基本的にポジティブな人間なので、「俺、伸びしろあるな」って思ったんです。まだまだ成長できるなって。留学先での経験は、チャレンジすれば、これからも、いくらでも成長できるんだということをもう一度思い出させてくれた大きなきっかけでした。

Q:全日本柔道連盟の強化副委員長という新たなポジションに就かれました。柔道の普及という面にも大きな期待がかかっていると思います。井上さんの今後の目標や夢、描いている未来を教えてください。

私は生きている以上は、道を追求していきたいと思っています。現役時代にオリンピックチャンピオンになりました。世界チャンピオンになりました。これは、私の人生において、道の一部に過ぎません。監督として成功を収めました、何かを成し遂げましたというのも、道の一部に過ぎないんです。大事なのは、果てしない死ぬまでの道のりをどう自分というものの存在価値を使った上で、社会に活かしていけるような仕事ができていけるか。ここが、自分自身の中での価値観でもあります。ですから、監督が終わって「終わりましたね」と言われても、もう次なる戦いにすんなりと、また足を運んでいっている感覚が強いなと思っています。それが生きがいでも、やりがいでもあるので。その心を忘れずに、これからもやっていきたいと思っています。
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PROFILE

井上 康生(いのうえ・こうせい)1978年(昭53)5月15日、宮崎市出身。5歳から柔道を始め、東海大相模高、東海大に進学。00年シドニー五輪100キロ級金メダル。04年アテネ五輪では日本選手団主将を務めた。08年に現役引退後、指導者研究で英国に留学。12年11月に男子代表監督に就任し、21年の東京五輪後に任期満了で退任。現在は日本柔道連盟強化副委員長を務める。得意技は内股と大外刈り。183センチ。

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