Photo by Kondo Atsushi

「「もう無理」と思っているところから、自分で何か良い部分を見つけ出して成長し、そして限界を突破する」

田中史朗 #1

今回のアチーバーは、ラグビー元日本代表の田中史朗さんです。伏見工高、京産大を経てパナソニックなどでプレーしてきた田中さんは、広い視野と卓越したゲームメイクを武器に長く日本代表として活躍。11年、15年、19年と3大会連続でワールドカップ(W杯)に出場しました。12年には日本人として初めて世界最高峰リーグ「スーパーラグビー」のハイランダーズと契約。世界の壁に跳ね返され続けてきた日本ラグビー界をリードし、15年W杯では南アフリカ戦での歴史的勝利、19年W杯では史上初のベスト8進出へとチームを導きました。道なき道を歩んできた先駆者がたどり着いた、「楽しむ」の本当の意味とは―。今回は全3回連載の1回目です。

Q:THE WORDWAYは「言葉」を大切にしているメディアです。早速ですが、田中さんにとってターニングポイントとなった言葉、大切にしている言葉があれば教えてください。

自分の中にあるのは「人生は一度きり」という言葉です。どこで誰に言われた言葉かは分からないですが、講演会や普及活動で子供たちにも伝えていますし、「人生は1回しかないから楽しもう」ということですね。

Q:田中選手と言えば、激しい言葉でチームメートを鼓舞する印象が強いです。「楽しむ」という言葉は少し意外に感じました。

学生の頃は、ミスをしたり試合に負けたりするとすごく落ち込んで、それをずっと引きずっていたんです。ただ、社会人になっていろんな人と出会ったり、年齢を重ねる中で「落ち込む時間はすごくもったいない」ということに気づきました。落ち込んでもプレーが良くなるわけでもないですし、自分の気持ちが良くなるわけでもない。大事なのは切り替えで、しんどい思いをしても、そこから切り替えて次また楽しむことだなと。人生は1回しかないと考えれば、落ち込んでいる時間は短いほうがいいですし、落ち込むことが悪いとは思わないですが、楽しい時間を増やす方が、人生にとってプラスになるんじゃないかなと思っています。

Q:若い頃は今のような考え方ではなかったと

そうですね。だから、何であんな無駄な時間を過ごしたんだろうっていう後悔しかないですね。高校時代は、試合で負けたら、次の日の朝3時半に1人でグランドに行って、「自分のせいで負けたんだ」とみんなが来るまでずっとパス練習をしたりしていました。それは「もっと上手くなろう」という向上心ではなく、「自分のせい」だっていうマイナスの気持ちだけだったんです。昔の僕は80%はしんどいことや、悔しい事を自分の中において、20%が楽しいことでした。今は意識的にしんどいことを20%にして、あとはもう楽しもうと。ミスをした後にどれだけ自分を元の自分に戻せるか。そのスピードをすごく意識しています。

Q:何か田中さんの意識を変える経験があったのですか?

(三洋電機時代のチームメートであり、元日本代表コーチの)トニー・ブラウンという師匠のような存在の方と出会ったことですね。ある試合に一緒に出ていた時に、前半20分ぐらいでブラウニーがタックルを受けてうずくまったことがあるんです。それでも「(試合)やるよ」って言って、そのあと60分間プレーして、試合も勝って終わったんです。その後、病院で検査したら、膵臓に穴が開く重傷だった。家族も来て、すぐに手術、入院だと。次の日のミーティングで僕たちにもそのことが伝えられたんですが、ブラウニーからの言葉は「みんな、今度の合宿に行けなくて申し訳ない」だったんです。自分の体、けがのことじゃなくて、仲間に迷惑がかかってしまうことを謝る感覚にすごく感動しましたし、自分が死にかけて手術をしている時にその一言が出るっていうのは、本当に彼の人としての素晴らしさだと思いました。

Q:その出来事が田中さんの考え方を変えたと?

ものすごく変わりましたね。自分自身のことより、周りの気持ちもそうですし、周りがどう思っているのかを意識しながら生きていこうと思うようになりました。

Q:ラグビーはチーム、仲間のために体を張ったり、「献身」が求められるスポーツです。田中さんは。強い繋がりを持った組織、チームを作るためには何が重要だと思いますか?

僕は「会話」だと思います。もし相手が何か違うことをしていると思ったら、自分が会話でその人を良い方向に導いてあげる。逆に、自分が分からないことがあれば、分かっている人に導いてもらえばいい。今の世の中は、その会話がすごく少なくなっていると思うんですが、大事なのは、お互いにどう思っているのかを伝え合うことだと思うんです。僕は、そうした声掛けは自分自身に向けても同じだと思っていて、しんどい時は「今はしんどいけど、それはもう少しで終わるよ」と自分に言い聞かせるんです。僕自身も、最初は自分のことだけしか考えられてなかったですけど、いろんな人の努力する姿を見て、まだまだ自分が足りないと思う経験を積み重ねることで、そういう自分を見つけ出せたんだと思いますね。

Q:田中さんは166㎝の身体で世界に飛び出し、2012年には日本人で初めて世界最高峰の「スーパーラグビー」と契約を結びました。あらためてキャリアを振り返って、日本代表に上り詰め、世界と真っ向勝負できたのはなぜだと思いますか?

繰り返しになりますが、やっぱりどんな時でも楽しんできたからだと思いますね。ラグビーをプレーしている時だけじゃなくて、人とのつながりでもそうですし、日本人外国人関係なく、ピッチ外で仲良く一緒にお酒を飲んだりというのをずっと繰り返してきました。身体はしんどくても、その楽しさでしんどさを吹き飛ばしてきたような感じですね。何かを実現しようとすれば、トレーニングも人以上にやらなければいけませんし、その中でしんどい事というのは絶対出てくるんですけど、そのしんどいことを楽しんでこられたかなと思います。自分自身まだまだいけるんじゃないかっていうのを楽しんでる。どれだけしんどくても、「これができた」という一瞬、一瞬の達成感を感じることが大事なのかなと思いますね。

Q:体格的に恵まれないことをネガティブに捉えた時期はなかったのですか?

ありました。昔は身体が小さいことがすごく嫌でしたし、お父さんお母さんに「何でこんな小さいの」って言ったこともあります。でも、高校の時にそれを言っても言い訳にしかならないという切り替えをしましたし、逆にラグビーには小さくても、小さいながらのポジションがあるというのが魅力的に感じました。だからこそ、「小さくてもできるポジションでトップを獲ろう」と努力してきたので。僕がこうなることによって子供たちにも勇気、希望っていうのを伝えられますし、そのために頑張ってきた部分もありますね。

Q:「トップを獲る」という意味では、大学時代にラグビー王国ニュージーランドへの留学を経験しています。世界への挑戦について、どのように考えてきたのですか?

大学時代にニュージーランドに行ったときは、レベルが違いすぎて、これ以上は上に行けないんじゃないかっていう、諦めというか、日本人では無理なんじゃないかなっていう思いを持ってしまいました。そこは自分の人生においてのダメな部分ではあるのですが、それがあったからこそ、24歳、25歳の時に「あの時はダメだと思ったけど、今ならできる」と思ってまた海外チャレンジしたときに、もう昔の自分ではないと思いましたし、その経験があったからこそ、それ以上に頑張れたんだと思います。

Q:一度は体感した「世界」の壁です。再び海外挑戦したきっかけはあったのですか?

2011年のワールドカップが大きかったですね。1試合も勝てずに、3敗1分で日本に帰ってきた時に空港にファンは1人もいなくて、テレビでも10秒あるかないかぐらいのニュースで「日本代表は負けました」だけでした。その時ですね。このままだったら日本ラグビーが終わる、誰かが世界に挑戦しないといけないと。一種の罪滅ぼしだと思いますね。自分でしっかり考えて、そして自分を外から見た時に、もっと何かできるんじゃないか、日本のラグビーのために何かできるんじゃないかと考えて、挑戦を決めました。そこからはもう本当に全力でというか、100%で日本のラグビーのためにチャレンジしました。

Q:日本ラグビーを変えるために、田中選手自身が世界と戦えることを示そうと?

日本人でもできるっていうのを、世界にアピールしたかったですね。メジャーリーグに行かれた野茂さんやイチローさんでもそうですけど、世界から日本人が必要とされれば、日本の方々もラグビーを見てくれて、ニュースとかも取り上げてくれると思いました。ニュージーランドに行ってからも同じで、「日本人は良い人だ」みたいには言われていましたが、「すごい」とか「速い」とか、ラグビーに関して褒めることっていうのはほとんどなかったので、何とか日本人の足跡を、爪痕を残したいなと思ってやっていましたね。

Q:世界を肌で感じることで、日本ラグビーに足りない部分も見えましたか?

日本のラグビー選手の意識の甘さは本当に見えましたね。日本は中学でラグビーして、高校でラグビーして、大学でして社会人になりますが、向こうは高校が終わってからすぐにプロになったり、海外に出たり、みんなが人生を賭けているわけです。スーパーラグビーというメジャーリーグみたいなところに行くことができれば、家族みんなが幸せになれる。自分が家族を支えるんだという人がすごく多かったですし、オールブラックスになれば、世界の色んなチームからオファーがありますから。そうした意識を彼らから吸収して、日本代表に持ち帰ろうと思いましたね。

Q:学生時代の経験も、世界との戦いも、田中さんはネガティブな場所にとどまるのではなく、自分と徹底的に対話し、置かれた状況を客観的に見ることで前進し続けてきたのですね。

そうかもしれないですね。逆境と言うか、「もう無理」って思っているところから、自分で何か良い部分を見つけ出して成長して、そして限界を突破するっていうのも、スポーツの楽しさなのかもしれないですね。

田中さんの「THE WORDWAY」。次回♯2は、田中さんが日本ラグビーの歴史が変わった15年W杯の裏側を語ります。エディー・ジョーンズ監督の組織作り、田中さんが大切にしたリーダーとしての振るまいとは。ビジネスに通じる、目標設定のヒントがあります。

この記事をシェアする
THE WORDWAYでは、読者から、アチーバーの記事を読んだ感想を募集しています。記事を読んだ感想、「昨日の自分を超える」トリガーになったこと、アチーバーの方々に届けたい思いなど、お送りください。いただいたメッセージは、編集部から、アチーバーご本人に届けさせていただきます! アチーバーに声を届ける

PROFILE

◆田中史朗(たなか・ふみあき)1985年(昭60)1月3日、京都市生まれ。中学1年の時にラグビーを始め、伏見工―京産大を経て三洋電機(現パナソニック)に加入。広い視野で1年目から活躍すると、08年に日本代表に初選出され、同年のアラビアンガルフ戦で初キャップを獲得。11年、15年、19年とW杯には3大会連続で出場した。日本代表キャップは75。13年にニュージーランドのハイランダーズと契約し、スーパーラグビーに日本人として初めて出場。15年に優勝を経験。19年にキヤノン移籍、21年からはNECでプレーしている。

HOW TO

THE WORDWAYは、アチーバーの声を、文字と音声で届ける新しいスタイルのマガジンです。インタビュー記事の中にある「(スピーカーマーク)」をクリック/タップすることで、アチーバーが自身の声で紡いだ言葉を聞くことができます。

RECOMMEND

あわせて読みたい

THE WORDWAY ACHIEVERS

隔週月曜日に順次公開していきます